山梨県 笛吹市

VOL.25日本のどこか編_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2023/01/20

1年の始まりに 今年もみなさんと 旅をはじめる前に

僕らはそれぞれ日本に住み
町に遊んでもらっている

 太宰治の「津軽」という物語が好きで、折にふれて読みかえしています。そしてそれは僕が考えるメディアの在り方、そしてみなさんに「日本の地域のおもしろさを伝えたい」と思う僕自身のモチベーションの、いちばん根っこにあるクリエイティブのひとつです。

 「津軽」は太宰が生まれ故郷である青森県津軽地方を3週間かけて旅をする話です。太宰治というと、多くの人が彼の退廃的な面を思い浮かべると思いますが、この「津軽」という物語には軽快さすらあり、彼の素の姿(本当はこっち?)がそこにあるようです。そこには旅する青年太宰が見た「客観」と「主観」の両方の津軽が描かれています。

 2年前の1月にメトロミニッツをリニューアルして、「東京」の読者のみなさまに「東京」の情報を届けるというフォーマットから、「東京」のみなさまに「日本の地域」の情報を提供するスタイルに変え、メディア名にLOCALRHYTHMという言葉を付け加えました。早いのもので、あれからもう2年が経ちます。当時はポジティブじゃない意見も少なくありませんでしたが、一方で多くの方に変化を受け入れていただき、ホッとしたことをおぼえています。あのときに僕が感じていたのは、この「主観」と「客観」についてでした。

 あたりまえのことではありますが、東京に住んでいる人は東京に、盛岡に住んでいる人は盛岡に暮らしています。それぞれに、それぞれの日常があります。でもそれって実は同じことかもしれない。それが当時僕が考えていたことでした。もう5年ほど前から、仕事で日本全国を訪ね歩くようになり、日本のあちこちに縁ができていきました。僕は東京で働いていますが、京都に行ったら必ず訪ねる飲み屋があるし、インスタには全国の仲間の近況が分刻みでアップされています。そこには関係性があり、思い入れがあり、時差のない日常があります。そう考えると、僕はその範囲の世界に住んでいる。おのずと僕は自分が「日本に住んでいる」と考えられるようになりました。そこはあくまで「地続き」であり、それを狭くしているのは自分自身だということに気がついたのです。

 もちろんこの考え方を、強要するつもりはありません。そう思わない人がいるのも理解しています。村上春樹さんは自身のバー経営の経験から、長く続く店の条件をこう語っています。「10人のうち9人の人に嫌われたとしても、1人から『すごく』好かれること」。僕はその考え方に共感しています。

 では、どうしたら1人に「すごく」好きになってもらえるか? そこに必要なのが「主観」だと思うのです。メディアが「客観」である時代は、たぶんもう終わりました。これだけSNSに主観が並ぶ時代において、我々が客観にこだわることは、10人全員に好きになってもらおうとしているのときっと同義なんじゃないかなと。

 例えば金曜日の夕方に羽田空港から飛行機に乗って、高知県の大好きな居酒屋で大切な人と食べる晩ご飯のワクワクとか、ひとりの土曜日に知らない町の蕎麦屋で注文する瓶ビールとか・・・。僕たちは町に遊んでもらっていて、そこにはまだまだ知らないことが、一生じゃ知り尽くせないくらい在る。その主観はきっと誰かの共感になって、その誰かの日常を豊かにしてくれる。そしてメディアはその主観を補う客観をもって、誰かの「役に立つ」ことができる。

 今日も編集部の仲間が、日本のどこかの町にいます。僕はいつも彼女たちが、彼女たちの目を通して僕に教えてくれる日本の景色を楽しみにしています。編集長の僕が、いちばんの読者なんですね。

 「津軽」の初版は今から約80年前。たぶん僕たちはいつもたいして変わらなくて、やっぱり「誰かの声」が聴きたいのだと思います。1年の始まりに、あらためて、いつも読んでくださっているみなさんにご挨拶を。僕たちがあなたにとっての「誰かの声」になれるように、今年もていねいに、本を作っていけたらと思います。

※メトロミニッツ2023年2月号より転載 

※記事は2023年1月20日(金)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります