群馬県 高崎市編_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2022/09/20

街はゆっくりと年をとり 僕らは生き急ぐように その場所を通り過ぎていく

心の部屋のなかにいつも
箱庭のように特別な街がある

 今でこそ僕は日本のあちこちの街を訪ねるようになり、おもしろくない場所なんてどこにもないということを感じられるようになりました。でも、もちろん高校生の僕は自分が生まれ育った田舎町のことになんて興味もなかったし、おもしろいものはぜんぶ東京にあるのだと思い込んでいました。

 僕は埼玉県の、人間よりカラスのほうが多い小さな村で生まれ育ち、群馬県の高崎にある高校に越県入学しました。そこは野球の強豪校で、小学校1年から野球をやっていていた僕にとって、甲子園に出ることは人生で最初に見つけた目標でした。それから、小さな村を出て、知った顔がいない場所でなにかに集中してみたかったという気持ちもあったように思います。

 こうして僕の高崎での3年間が始まりました。でも遠くまで通うことは、いま思い出しても楽ではありませんでした。朝6時に家を出て、練習後の夜はたいてい20時30分高崎発の電車で家に帰るのが僕の毎日になりました。

 20時30分の電車を逃すと次にやってくるのは終電で、その電車は22時17分でした。僕は20時台の電車を逃すと、いつも駅の近くにある喫茶店でスパゲティ(パスタではない)を食べました。山小屋のように暗い店内は静かで、それが落ち着きました。麺の上にハンバーグがのり、そこに粗挽きの挽肉たっぷりのデミグラスソースがかかったメニューは、たぶん高校時代に僕がいちばん口にしたものだと思います。

 18で高校を卒業し、高崎は遠い街になりました。そして3年で僕が街に詳しくなったかというとそうでもありません。同じような毎日でしたし、カラフルな思い出があるわけでもない。

 それでも、僕は今でも時々この街を訪ねて、そのハンバーグスパゲティを食べています。そして終電までの時間をつぶしていたあのころと同じように、あてもなくそのへんを歩いています。街が変わらな過ぎて、どこかに制服を着た自分がいるんじゃないかとさえ思うことがあります。それは旅と呼べるのか、帰郷と呼ぶのか、あるいはただの帰省なのか、僕にはわかりません。でも僕はそういう街と自分の、歳を取るスピードの差のようなものが好きだし、そのノスタルジックな気分が好きなのだと思います。そう考えると、日本のあちこちにそういう場所ができていくことがすなおにうれしくて、もしかしたらこれからの豊かな旅というのは、絶景とか、文化とか、歴史とかと同じくらい、個人的な思い出みたいなものが求められていくんじゃないかなと考えたりするのです。そしてそういう日常や、時間を旅するようなものに、僕は俄然興味があるのだと思います。

Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2022年10月号より転載 

※記事は2022年9月20日(火)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります