「10年に一度の逸材」と呼ばれ、瞬く間に市場を席巻した人気のぶどう、シャインマスカットのように、末永く愛されるヒット品種を―。次世代のスターを生み出そうと奮闘する、日本の農林水産の舞台裏を訪ねます。今回は、国民の約4割が悩む花粉症の切り札と期待される無花粉スギの育種の現場、茨城県日立市へ。
花粉症の原因をもとから絶つ!
無花粉スギ開発の長い道のり
遺伝子の突然変異により、花粉を作ることも放出することもない無花粉スギ。1992年に発見されて以来、各地で研究が進んでいます。森林総合研究所 林木育種センターの坪村美代子さんも、その開発を担うひとり。
「人工交配で作った苗木が成長し、雄花が成熟するのを待って、花粉のできない木を選び、試験用にさし木をして、さらに成長を待つ。林木の育種は数年単位で時間がかかります」と坪村さん。「林育不稔1号(りんいくふねん1ごう)」は誕生に13年を要しました。
同センターは、家屋や家具などに使われる木材として役立つ、林業用の樹木の品種改良に取り組む国内最大の研究機関。花粉症が社会的な問題になるにつれて、花粉をまったく出さない無花粉スギや、出してもごく少量の少花粉スギの需要が高まり、そのような特性を有するスギをいち早く作り出すことが課題となっています。
2004年に同センターで最初に選抜された無花粉スギ「爽春(そうしゅん)」は、さし木の発根が良好で幹がまっすぐ育ち、寒さに強い優れモノながら、成長はゆっくりという特徴がありました。林業において成長速度は、雑草などの下刈りの手間やコストの削減につながる大切な要素です。そこで坪村さんは、爽春と「精英樹(せいえいじゅ)」と呼ばれる成長性に優れたスギの人工交配に挑みます。
精英樹は成長性だけでなく材質がよく、幹がまっすぐ育つなど優れた特性を持つ木のことで、スギに関しては全国で約3700本が存在します。
遺伝の法則で、この精英樹と爽春をかけ合わせた子ども世代は花粉を作りますが、子ども世代と、別の精英樹を交配した子ども世代同士をかけ合わせた孫世代は、25%の割合で無花粉スギが出現します。この中から最も秀でた1本を選抜したのが林育不稔1号です。成長性も精英樹と同等かそれ以上を誇ります。
「世代を進めるのに時間がかかる上に、孫世代でも75%は無花粉になりません。けれど、最近確立した簡易DNAマーカーという技術で、無花粉かどうかを早期に高精度で判別できるようになりました。研究スピードが上がることが、今、とてもうれしいんです。よりよい品種をどんどん増やしていけたらと思います」
穏やかな、しかしきっぱりとした口調で、坪村さんはこれからの抱負をそう教えてくれました。
PICK UP! >> 林育不稔1号
茨城県日立市にある、森林総合研究所 林木育種センターが13年をかけて開発した無花粉スギの「林育不稔1号」。無花粉であることはもちろん、さし木の発根が良好で、幹がまっすぐ育ち、寒さにも強いという「爽春」のよいところを受け継ぎつつ、「精英樹」と同等かそれ以上の成長性を誇る。
SPECIFICATION
品種/林育不稔1号
育成地/茨城県
開発年/2017年
交配/爽春×精英樹
【取材ノート】
林木育種センターの敷地には、第二世代の精英樹である「エリートツリー」が植えられている。エリートツリーは、第一世代の精英樹より成長性などが優れている。坪村さんは100通り以上の組み合わせで精英樹と爽春のかけ合わせを試し、そこから育った子ども世代同士を約50通りの組み合わせでかけ合わせたそう。そうして生まれた孫世代の個体群から、成長や材質が優れたものを選抜して「林育不稔1号」が誕生した。「今後は、エリートツリーなどとのかけ合わせを行って、さらに優れた無花粉スギを作っていきたいです」と坪村さん。
【取材ノート】
通常のスギは雄花の中で花粉が形成されるが、無花粉スギでは花粉が正常に形成されることはない。無花粉スギへの植え替えは、全国的に推奨されている有効な花粉症対策のひとつ。
花粉症の命運を握る研究の中心地!
国立研究開発法人 森林研究・整備機構
森林総合研究所 林木育種センター
国内最大の森林・林業・木材産業に関する研究機関で、特に遺伝的に優れた特性を持つ林業用種苗の開発を担う、国内最大の林木育種機関
PHOTO/TAKANORI SASAKI
※メトロミニッツ2023年5月号「今日もどこかで第2のシャインマスカットが生まれている。」に加筆して転載