その野菜の本当においしい食べ方を、人気フードライターの白央篤司さんが、農家さんのキッチンを訪ねて教えてもらう連載エッセイ。今回の主役は、ピリッとした辛みと独特の爽やかな香りをもつクレソン。肉料理のつけあわせとしてしか食べたことがない人も多いかも? それはあまりにもったいない!・・・ということで、伊豆のワサビ田でクレソンを育てる青野さんに教わってきましたよ!
添えものにあらず!
千変万化の爽やかさ
オニヤンマとすれ違って、ちょっと興奮した。子どものとき以来だなあ。クレソン農家さんの青野陽子(あおのようこ)さんと待ち合わせをしたのは中伊豆の山あい、清水湧き出る沢のほとり。オニヤンマはじめ、いろんなトンボが飛んでいる。浅い水辺に卵を産みつけに来たんだろう。何か泳いでいるかと目を凝らせば、薄青い体をした沢ガニが一匹、ゆったりと砂底を歩いていた。
「すぐにここ、分かりました?」
ふり向けば青野さんがほほ笑んでいた。「あの湧き水は飲めるんですよ、ここらは冷たくて水温が9度ぐらい。伊豆といえばワサビが有名だけど、そのワサビ田を借りてクレソンを育てているんです」と案内してくれる。
沢の水に手をひたしてみれば、一瞬で体の芯に冷たさが伝わってくる。この冷水がクレソンならではの辛味と香りを育てるの、と教えてくれた。少しかじらせてもらえば、ピリッとした辛みと爽香が口の中でずっと響くように残り、やがてきれいに消えていった。
キッチンに移動して、摘みたてを早速料理していただく。
「どう食べていいか分からない人、多いよねえ。お肉のつけあわせにちょこっとのってるぐらいしか普通は見かけないもの」と青野さんがフライパンを片手に笑う。青野さんはなんとも陽気で、壁を作らない方だった。さあ、できましたと出してくれたのは、たっぷりのクレソンを豚の薄切りで巻いて焼いたもの。加熱して肉の脂を吸ったクレソン、グンと食べやすくなる! 味つけは塩コショウのみのシンプルさ、ごはんにとても合うのが発見だった。
ゆでた蕎麦に生のクレソンをどさっとのせて、温泉玉子にパルミジャーノをたっぷり、蕎麦つゆと太白ごま油少々を加えたひと皿は感激のおいしさ。沼津で人気の蕎麦店のメニューを真似されているそう。
「普通の青菜みたいに使ってもおいしいんですよ」と並んだのが、おひたし、ナムル、ごま和えだ。醤油やごま油と何の違和感もなく合うものだなあ。聞けばごま和えは、青野さんが田んぼを借りている農家の山下とし江さんが特別に作ってくださったものだった。
クレソンを食べ続けたら体調がよくなった青野さん、自分でも作ろうと決めてワサビ田を持つ農家さんを直に訪ねてまわり、「貸してくれないか」と交渉したのだそう。そのとき快諾してくれたのが山下さんご夫婦で、以来家族のような親交が続いている。
とし江さんは80代になられるようだが、お元気そのもの。
「ごま和えはゆがいたクレソンをしぼって、醤油と砂糖だけ。おひたしはおかかと醤油で。ナムルはちょっとチンして、ごま油と塩でね。チンしたら塩昆布で和えてもおいしい」と教えてくださった。夫の邦彦さんに「小さい頃から食べられていましたか、クレソン?」と尋ねれば「ああ。昔は三島ゼリって呼んでたね、煮しめてごはんに混ぜて食べたりね」とも教わる。
撮影が終わって、お料理をあらためていただく。とし江さんが「ごはん、お代わりしなさいね」と何度もすすめてくれた。実家に帰ってきたみたいだったな。手作りのおしんこのおいしかったこと、忘れられない。ごちそうさまでした。
帰り道、邦彦さんから聞いた「混ぜごはん」がどうにも気になる。豚肉を細かく切って甘辛く炒めて、さっとゆがいたクレソンを刻み、混ぜごはんにしたらよさそうだな・・・なんて思いつく。家でやってみたら、かなりおいしい。もっとクレソン料理、研究してみたい。
【取材風景より】上/摘んできたばかりのクレソンをザクザクと刻む 下/刻んだクレソンを山盛りにした冷やし蕎麦には、ぷるんっと温泉玉子が鎮座
【取材風景より】青野さんのクレソン料理2品。上がクレソンの豚肉巻き。手前に添えてあるのは山下さんちのワサビで作ったワサビ味噌である。これがまたよく合った! 下が温泉玉子とパルミジャーノチーズをのせたクレソン蕎麦。「ストップって言ってね」と笑いながら青野さんはチーズをすりおろしてくれた。香りの強いもの同士と蕎麦が意外な相性の良さを見せる
【取材風景より】青野さんがクレソンを育てるための田んぼを借りている、山下家でクレソン料理を教えていただく。とし江さんが作ってくれたのは、甘じょっぱいのに爽やかさも感じる、ごま和え(上)。青野さんもクレソンを青菜のように使う2品を作ってくれた。おひたし(上左)、ニンジンのナムル(上右)にはシラスをのせて
【取材風景より】クレソン農家の青野陽子さん(左)と、青野さんが「中伊豆の親」として慕う山下邦彦さん(中央)・とし江さん夫妻。とし江さんは漬物名人で、お手製のおしんこに手が止まらなかった。心づくしのおもてなしに感激
【取材風景より】手が冷たくなるほどの冷水が湧き出るワサビ田で育つクレソン。クレソンは肥料などを与えずに「ほっといても育つ」丈夫な野菜だが、土の栄養を吸い尽くすかのように成長するので、1シーズン収穫したら1年間その土地を休ませることにしているそう。それで青野さんは中伊豆のほかにも、同じ静岡県内の三島市やお隣の山梨県に複数の栽培場を借りている。中伊豆は9℃、三島は15℃と場所ごとに水温が異なり、青野さんによると、水が冷たいぶん中伊豆ではより辛みのあるクレソンが、三島では穏やかな辛みのクレソンが採れるのだという
【取材風景より】もともとトマト農家である夫の実家を手伝っていた青野さんは、極度の貧血に悩んでいたところに医者からクレソンをすすめられて、その魅力に開眼。山下さんから田んぼを借りてクレソン栽培を開始し、8年近くになる
【取材風景より】中伊豆は水の郷(さと)。生命力に富むクレソンだが、増水によって流されやすいという弱点もある。大雨や台風が天敵なのよ、と青野さんは教えてくれた
クレソン農家・青野陽子さん
青野陽子さん(右)と筆者。青野さんは8年ほど前から湧き水を使ってクレソンを栽培。クレソンの旬は3月~6月、9月~11月頃の年2回だが、青野さんは通年出荷できるようにと、中伊豆のワサビ田のほか三島市や山梨県内と複数の圃場で風味のよいクレソンを育てている
文・白央篤司
はくおうあつし フードライター。「暮らしと食」、郷土料理をテーマに執筆。『オレンジページ』、CREA WEB、朝日新聞ウィズニュースなどで連載中。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『ジャパめし。』(集英社)、『自炊力』(光文社新書)など
PHOTO/TAISUKE SUZUKI
※メトロミニッツ2022年10月号「行ってきました、農家さんの台所。」に加筆して転載