バレエは、台詞や歌詞を伴わない舞踊劇であり、踊り・音楽・美術・衣装・舞台装置などすべてを含めた総合舞台芸術。イタリアの宮廷から発生し、フランスに移入され、ロシアで発達した。日本にはロシア経由でもたらされ、近年では老若男女を問わず楽しまれている。バレエを観たことがあっても、そのルーツを知らない人もいるのでは? そこで今回は、発祥から500年を経てもなお愛され続けるバレエの歴史をご紹介します。
モーリス・ベジャール・バレエ団『バレエ・フォー・ライフ』 Photo by Gregory Batardon
~進化するバレエから日本での発展まで~
進化し続けるバレエ。スポーツ界や演劇界にも?!
前回の記事では「クラシック・バレエ」までの成り立ちや3大バレエをご紹介。最後となる今回は、さらに進化を遂げるバレエ、そして日本における発展を紐解いていきます。
20世紀初頭の西ヨーロッパでは、バレエはすっかり大衆娯楽化し、芸術的な作品は全く生まれなかった。ところが1909年、セルゲイ・ディアギレフというプロデューサーの率いる「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」がパリにやってきて、再びヨーロッパ中でバレエブームが巻き起こった。ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、ピカソといった一流のアーティストたちがバレエ・リュスに参加した。1929年にディアギレフが急死したためバレエ・リュスは解散するが、以後、バレエ団で活躍したダンサーや振付家たちによって、南北アメリカ・アジア・オーストラリアへと普及していった。
20世紀後半には、モーリス・ベジャールに代表されるようなモダンダンスを取り入れた新しいバレエや、ジョージ・バランシンに代表されるようなストーリーのないバレエや、文学作品や戯曲をバレエ化した演劇的バレエなどに分かれて、それぞれが発展した。現在は世界中で、19世紀の古典バレエと、20世紀以降の新しいバレエの双方が上演され、いずれもが人気を博している。
特に芸術点のあるスポーツはバレエと縁が深く、例えば、フィギュアスケートは氷上のバレエ、アーティスティックスイミングは水中バレエであり、新体操もまた体操的バレエと言える。また、コンテンポラリー・ダンスやミュージカル・ショーなどの世界でも、バレエは基礎練習のひとつとして取り入れられている。
日本におけるバレエの発展
1911年(大正元年)、ロンドンで活躍していたイタリア人バレエマスターのローシーが、帝国劇場歌劇部の舞踊教師として招かれた。しかし、その努力は実を結ばず、日本ではあまり普及しなかった。当時はバレエではなく、“爪先舞踊”や“トウダンス”と呼ばれていた。1919年にロシアから亡命してきたエリアナ・パブロバは、鎌倉にバレエ学校を開いた。後に日本バレエの発展に貢献するダンサーたちを育てたため、“日本バレエの母”と呼ばれている。1922年、バレエ史上最も有名なバレリーナ、アンナ・パヴロワが世界ツアーの途中で来日し、バレエの普及に大きく貢献した。
終戦から1年後の1946年、まだ焼け野原が残っていた東京の帝国劇場で、『白鳥の湖』全幕が日本初演された。上演したのは、パブロバの弟子たちと小牧正英であった。小牧は戦時中、上海でロシア人たちのバレエ団で踊っていたことがあり、日本ではまだ知られていなかったバレエ作品をたくさん知っていた。2ヶ月間の連続公演が反響を呼び、ここから日本のバレエ発展が始まった。戦前はバレエよりもモダンダンスの方が広く普及していたが、戦後は逆転し、バレエは発展の一途を辿り現在に至る。
監修|鈴木 晶(すずき・しょう)
法政大学名誉教授、早稲田大学客員教授、舞踊評論家。東京大学文学部ロシア文学科卒、同大学院博士課程修了。著書に『バレエ誕生』『オペラ座の迷宮』『バレリーナの肖像』(いずれも新書館)、『バレエの魔力』(講談社)など。訳書に『ディアギレフ』(みすず書房)、『ニジンスキーの手記』(新書館)ほか多数。ミュージカルやフィギュアスケートも研究している。
【特集】小さい頃からの女性の憧れ!麗しきバレエの世界
ふわっと広がったチュチュ、脚をすらりと見せるトゥシューズ、そして繊細で美しい踊り・・・少女の頃から憧れの対象である“バレエ”。可憐さや品の良さが漂う麗しきバレエの世界に、大人になった今、改めて触れてみませんか? バレエの基礎知識や今注目したい話題のバレエダンサーなど、初心者でも楽しめる魅力をオズモール編集部がたっぷりご紹介します。
Production Cooperation/SHOU SUZUKI、WRITINGS/MEGUMI OGURA