今回は「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の三段目「吉野川の場」をピックアップ! 日本の伝統芸能・歌舞伎。興味はあるけどちょっと難しそう・・・なんて思ってない? そんな歌舞伎の世界に触れてもらうこの連載。古典ながら現代にも通じるストーリーということを伝えるために、イラストは現代風に超訳してお届け。
恋する歌舞伎:第3回「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の三段目「吉野川の場」
【1】愛し合う2人、でも親は敵同士・・・!
雛鳥(ひなどり)と久我之助(こがのすけ)は相思相愛の仲。ところが親同士は領地争いが原因で、敵対関係にある。その隔たりを表すがごとく、2人の家の間には吉野川という川が流れ、直接会う事ができない。向こう岸には愛しい人がいるのに、手を握ることさえできないもどかしさ!
現代と違ってメールもLINEもない時代。ラブレターを川に流したり、川岸で見つめ合ったりするのが精一杯で想いは募るばかり・・・。そこに、久我之助の父・大判事清澄(だいはんじきよずみ)、雛鳥の母・定高(さだか)が帰ってくる。
【2】愛する2人をダメ押しで引き裂く、悪魔からの駆け引き
沈痛な面持ちの2人の親は、国家転覆を企む蘇我入鹿(そがのいるか)に呼び出され、ある命令を下されたのだった。それは「雛鳥は自分の妻にするから差し出せ。久我之助は自分の家臣になれ」という残酷なもの。表面上は対立しているものの、子供たちには幸せになってもらいたいのが親心。入鹿に背けば両家とも滅ぼされるのは必定だが、密かに愛し合う2人のこと、添えないならば自害してしまうかもしれない・・・。
腹を探り合う2人の親だが、もし入鹿に従う場合は吉野川に花のついた桜の枝を流す、背くときには花を散らした枝を流して合図することを互いに約束し、それぞれの館に帰る。
【3】せめて一人は助けたい。交錯する恋人・親の決死の嘘
ちょうど季節は雛祭り。立派な雛飾りを前に、突然入鹿に嫁入りするよう諭される雛鳥。事情を聞かされ、はじめは母の意見を聞き入れようとはするものの、やはり自分は久我之助の妻になりたいと嘆く。それは死んであの世で添い遂げることを意味する。
一方、久我之助は、入鹿の探している女性(※)の行方を知っており、仕えたところで拷問の末に殺されるに違いないと悟り、それならば武士らしく切腹すると決意する。そして雛鳥が自分の後を追って来ないように、自分は入鹿に従ったことにしてほしいと父に託し、愛しい恋人の命を守ろうとする。
最早、命を救うことはできないが、我が子が愛した人の命は救いたい。同じ想いを抱える定高と大判事は、互いに入鹿に従うことを示す、花のついた桜の枝を川に流すのだった。
※入鹿は時の天皇を失脚させようと目論んでいる。その妻である采女の局を久我之助はかくまっていた
【4】首だけの嫁入り。魂同士の結婚式で永遠に結ばれる二人
相手の子供だけでも命がつながったと安堵するも束の間、それは互いの子を助けるための偽りの合図だったとわかる。操を立てたいという願いにより雛鳥は母の手によって首を落とされ、久我之助は切腹を果たすのだった。嘆き悲しむ親たちだが、せめて天国で結ばれるよう吉野川に雛鳥の首を流し、久我之助のもとに無言の嫁入りをさせる。息も絶え絶えの中、雛鳥の首と対面し笑顔をみせる久我之助なのだった。
この『妹背山婦女庭訓』は、歴史の時間に習うであろう、飛鳥時代に起きた「大化の改新」を下敷きにしているが、雛鳥と久我之助の話をはじめ、もちろんフィクションである。しかし時代の荒波によって引き裂かれた恋人たち、歴史の教科書には載らない若者たちの悲恋物語は、歌舞伎の世界で息づいているのだ。
監修・文/関亜弓
歌舞伎ライター・演者。大学在学中、学習院国劇部(歌舞伎研究会)にて実演をきっかけにライターをはじめ、現在はインタビューの聞き手や歌舞伎と他ジャンルとのクロスイベントなども行う。代表を務める「歌舞伎女子大学」では、現代演劇を通して歌舞伎の裾野を広げる活動をしている。
イラスト/カマタミワ
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