制札に書かれたメッセージの謎。辛すぎる本当の意味とは。

更新日:2019/01/18

第42回 恋する歌舞伎は、歌舞伎座二月大歌舞伎(2019年)で上演予定の一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋(くまがいじんや)に注目します!
日本の伝統芸能・歌舞伎。興味はあるけどちょっと難しそう・・・なんて思ってない? そんな歌舞伎の世界に触れてもらうこの連載。古典ながら現代にも通じるストーリーということを伝えるために、イラストは現代風に超訳してお届け。

恋する歌舞伎 第42回
『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋(くまがいじんや)』

一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋(くまがいじんや)

【1】戦さの最前線に美しい桜の木。そこに何やら意味ありげな触れ書きが。

源平争乱の世。源氏方の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)の陣屋(※)の傍らには桜の木が植えてあり、「一枝を切らば一指を切るべし」という制札が立ててある。これは、源義経の家来・武蔵坊弁慶が書いたもので、「桜の枝を切ったならば、一指を切り落とす」ということを暗示している。
そこへ帰ってきた直実。敵方である平家の若武者・平敦盛(たいらのあつもり)を討ちとるという大きな手柄を立てたにもかかわらず、なぜか沈痛な面持ちである。そんな直実を迎えたのは、妻の相模(さがみ)。直実との間に生まれた息子・小次郎もこの戦で初陣を飾ったため、心配で東国から遥々やってきたのだ。しかし直実は「女の身で戦場へやってくるとは何事だ」と叱りつける。そんな夫婦がやりとりをしている中、突然「我が子の仇!」と、直実に斬りかかる女が!

(※)軍兵の宿泊場所

一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋(くまがいじんや)

【2】なぜ自分の息子が…動転する母親に、男は噛みしめるように語り出す

女の正体は藤の方であり、直実が討ち取った敦盛の母である。しかも藤の方は、直実と相模にとって大恩ある女性。むかし直実が都に出仕していた頃、藤の方に仕えていた相模と恋仲になり、小次郎を宿した。本来ならば、不義密通で捕らえられていたところ、藤の方の計らいで二人は助かったのだ。その後、相模は出産し、同じ頃に藤の方も敦盛を産んだ。
藤の方は、自分のおかげで今の立場があるにもかかわらず、なぜ敦盛を討ったのかと責め立てるが、直実は全ては逃れられぬ戦の掟だからと諭す。そして、敦盛がいかに立派な最期を遂げたかを鮮明に語る。悲しみにくれる藤の方は、せめてもの弔いにと、敦盛の形見である青葉の笛を奏でると、障子に敦盛の影が現れるが、それは幻影であった。

一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋(くまがいじんや)

【3】男が討ち取った若武者の首の真実。二人の母親の立場が一気に逆転する。

そこへ家来を伴った義経が、敦盛の首実検(※1)にやってくる。直実は落ち着いた様子で桜の木の傍らに立つ制札を引き抜き、義経の前に差し出す。そして「いざご実験を」と首桶の蓋を取り払う。その首を見てまず驚いたのは相模だった。敦盛の首と思いきや、我が息子・小次郎の首ではないか!受け入れ難い現実に動転する妻を、直実は制札を以って必死に押し留める。
実は敦盛は後白河法皇のご落胤(※2)であるため、義経は敦盛の命を救おうと考えていた。そこで直実に制札の文言を伝え、敦盛を救うようにと暗に指示を出していたのだ。つまり「一指」とは「一子」に読み換えよということ・・・。その意向を察した直実は、敦盛と同じ年頃の我が子・小次郎を、敦盛の身代わりにしようと決意した。そして我が子の首を討ち取り、敦盛の首として義経に差し出したのだ。

※1)討ち取った首が本物かどうか検査すること
※2)身分の高い男性が、正妻以外の女性に産ませた子供

一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋(くまがいじんや)

【4】親子なのに、親子だから・・・。答えの出ない、孤独な旅が始まる。

しかし困ったことには、この様子を源氏の侍に一部始終見られていて、侍は「このことを鎌倉に報告する!」と駆け出す。これではせっかくの計画が台無しだ。そこへ、どこからともなく石鑿(いしのみ)が飛んできて、侍は絶命する。石鑿を使ってこの窮地を救ったのは、弥陀六という老人だった。彼は昔、平家側でありながら、義経を救った過去がある。義経にとっては恩人であるこの老人に、義経は鎧櫃に隠していた敦盛を託すのだった。
全てのことをしおおせた直実は、義経に暇を乞う。その心情を察した義経は、その願いを許すのだった。
鎧兜を脱ぐと、直実はすでに剃髪し、墨染の衣を着た姿であった。我が子を失った直実は、もう生きる意味を失い小次郎の菩提を弔う旅に立つことを決めた。

「十六年は一昔、夢だ」と嘆く直実。小次郎はたった16歳でその人生を終えたのだ。出陣の太鼓の音を振り払い、直実は師の庵を目指し歩みを進めるのだった。

『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』とは

宝暦元(1751)年12月大阪豊竹座初演。翌年4月歌舞伎初演。「熊谷陣屋」は全五段の内、三段目にあたる。作者の並木宗輔はこの三段目まで書いて死去。続きは弟子たちが書いてその年に上演がされた。

2019年 『二月大歌舞伎』

監修・文/関亜弓
歌舞伎ライター・演者。大学在学中、学習院国劇部(歌舞伎研究会)にて実演をきっかけにライターをはじめ、現在はインタビューの聞き手や歌舞伎と他ジャンルとのクロスイベントなども行う。代表を務める「歌舞伎女子大学」では、現代演劇を通して歌舞伎の裾野を広げる活動をしている。

イラスト/カマタミワ

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歌舞伎の醍醐味を味わえる名作揃いの『二月大歌舞伎』

豪華な役者が勢揃いする歌舞伎座『二月大歌舞伎』では、「熊谷陣屋」のほかに、歌舞伎三大名作の一つ「義経千本桜 すし屋」や「名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)」など名作を上演。さらに、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、玉三郎など実力と人気を兼ね備えた豪華役者が登場する。OZではイヤホンガイドに、ランチやお弁当付きで楽しめるプランをご用意しました。

【特集】初心者でも、ツウでも!たのしい歌舞伎案内

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※記事は2019年1月18日(金)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります