旅,ローカリズム

VOL.52_京都府・京都市編_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2025/04/20

旅が人生を豊かにしてくれる
それはたぶん旅の途中ではなく
旅が終わったずっとあとのこと

旅,ローカリズム

京都に自分が座るイスがある
それを思い出す気持ちについて

寒い夜に沈丁花の香りが漂うと長かった冬が終わり、そこから一気に春がやってきます。それがスイッチで、春はいつもそこからが早い。街では木蓮が咲いたそばからぼたぼたと散る脇で桜がそれを追い抜いて、気がつけば初夏の風が花水木を揺らしています。春の花のリレーは花たちがバトンをつないでいるよう。目の前をあっと言う間に通り過ぎてしまいます。僕はと言えば雨が桜を濡らすのを眺めながらこの原稿を書いています。春の雨。「桜が散ってしまう」と思いつつも、ぼんやりと「東京の街はきれいだなぁ」と、そんなことを考えています。

京都という街が好きで、春になると京都に行きたくなります(でもそれはきっと僕だけじゃないですね)。京都の好きなところはなんと言っても街に咲く花がきれいなところ。雨に濡れる桜を見ていてそれを思い出しました。それからなにより、おいしいお店がたくさんあるところです。京都に行くといつも行くお店がふたつあります。そのお店に行きたくて京都に行くこともあるくらい、僕にとっては特別なお店です。「カウンター特等席時代」という特集を作りながら、その大好きなお店のことを考えていました。そのカウンターでコーヒーを飲むこと、そのカウンターでお酒を飲む時間、それは僕にとってとても大切なものです。

旅,ローカリズム

ひとつめが「キッチンよし田」というおばんざいの店で、僕はこのお店にもう15年以上通っています。カウンターにはずっと変わらず、いつ行っても、僕にとって京都のお母さんのような人が作るおばんざいが並んでいます。

人はその人が食べたものでできていると言いますが、僕はそこで食事をすると自分の身体が元気になっていくのを感じます。「身体が喜ぶ」というよりももっと「身体が元気になる」というとても直接的なパワー。そのお店のカウンターでごはんを食べながら、キッチンの中のママと話すことは、僕にとって自己を肯定してもらえるような時間です。

旅,ローカリズム

もうひとつが「御多福珈琲」という喫茶店です。そこには僕の(京都の)兄がいます。僕は姉と2人姉弟ですが、こんなお兄ちゃんが欲しかったなといつも思います。ここでも僕はカウンターに座って、まるで先週も来たみたいにマスターと話します。会わなかった間の時間を埋める必要もないし、過ぎた時間について共有することもない。そこではいつもカウンターを挟んで、マスターと僕の人生がその時間だけ重なっている。それは喫茶店の理想の姿だなと思います。そしてオーナーの野田さんは、僕が考える喫茶店の店主そのものです。分け隔てなく、世界を平らに見るまなざし。野田さんと話をすると、僕はいつも会わない日々にブレてしまった自分の生き方の軸が正されていくように感じます。うまく言えないけど、それは灯台のようなものかもしれません。


もちろん僕は、東京で仕事をして、この街で暮らしています。京都にはたまにしか行けないし、僕にとって京都に行くことは旅をすることに変わりはありません。よく「旅が人生を豊かにする」という言葉を聞きます。それには僕も同意します。でも、それは旅をして目の前に非日常の世界が広がっているその瞬間ではなく、いつかその日を思い出すとき、そのたびにその豊かさは胸に沈んでいくのではないかと感じます。日常という代わり映えしない日々をゆく僕らを、旅の記憶が温めてくれる。今こうしている間にも、あのカウンターにはおいしい料理が並び、マスターがコーヒーを淹れている。そう思うだけで僕たちの心は旅をして、僕らの心の壁をぐんと広げてくれる。視野が狭くなって落ち込んでしまった心が、その場所のことを思い出すだけで軽くなることがある。僕らはつい、自分の心を狭い場所に閉じ込めてしまいます。でも心にはたぶん日常は狭すぎる。それを忘れないように、いつでも心が旅をできるように、僕たちみたいな雑誌があるんじゃないかなと思います。心にはもっと広い場所が必要なのだと思うのです。特に今日みたいに雨が降る午後には。

※メトロミニッツ2025年4月号より転載 

※記事は2025年4月20日(日)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります