群馬県,太田市

VOL.49_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2025/01/20

旅行をすること
旅をすること
日々をゆくこと

群馬県,太田市

旅をすることで溶けていく
自分と世界の境界線

1月1日に起こった能登半島地震で明けた2024年が終わり、新しい年が始まりました。現地にはまた寒い冬がやってきて、大変な復旧作業が続けられています。みなさんが暖かい場所で過ごすことができ、温かいものを食べて、ボランティアの方々の良心が、きちんと光に照らされますように。自分にできることは何か、僕も静かに考えながら過ごしていたいと思います。

メトロミニッツにローカリズムという言葉をつけて旅に出るようになって、丸4年が過ぎました。それは「旅とはなにか?」を自分なりに理解していく日々でした。誰かがこう言っていました。「誰かとするのは旅行で、ひとりでするのが旅である」。もちろんスナフキンのようにずっとひとりで旅をしているわけではありませんが、僕はその言葉の意味がだんだん分かってきたような気がします。たぶんここでいう「ひとり」というのは心持ちのことも含まれているのだと。旅に出ると、世界と自分の境界線が消えていくような瞬間があります。そして心が旅をできていれば、それはどこでも起こります。そのときふと自分と世界の間にあるものが曖昧になって、僕たちは急になにかが分かったりする。

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長野県をローカル線で旅をしているときでした。電車はどこかの駅に停まっていて、反対方向からやってくる上り電車を待っていました。平日の車内は人もまばらで、外はよく晴れていました。午後の光がきれいで、駅前のベンチに座って談笑しているおばあちゃんが見えます。どこにでもある、駅前のなんでもない風景です。そのときふと、目から涙が流れました。泣くような場面じゃないし、もちろん泣くつもりもありませんでした。我に返って意識を集中すると、そこは3年前に病気で亡くなった友達の故郷の町でした。僕は立ち上がり、ホームに出てみました。空が青くて、改札の向こうにはその町の暮らしがありました。僕はそのまま改札を出てしまいたくなりましたが、そこにちょうど反対方向から電車がやってきました。僕が車内に戻るとドアが閉まり、電車は町を離れていきました。彼が死んでしまってずいぶん経ちます。でもときどき僕はまだ思い出して泣いたりしているから、誰かがあの場所でドアをノックするように、僕にそれを教えてくれた。たぶんあのとき僕と世界の境界線は曖昧になって、僕の中のなにかがそこに溶けていたのだと思います。涙が先に出て、理解があとだった。そういう不思議なことが、ちゃんとこの世界には起こる。それを旅のせいだと呼ぶのはいささか乱暴だとは思いますが、旅というのは世界と自分の境界線のドアを探すようなものなのだと、そんなふうに僕は思うんです。

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僕たちが住むこの世界をどう見るか、そのまなざしは人それぞれです。僕らは自分が自分以外の人とは違うことを、もう嫌というくらい知っている。そしてインターネットやSNSの広がりで、その「違い」を突きつけられている。誰かが誰かを責めて、町では普通のことのように普通じゃないことが起こっています。この世界を普通に生きていくのは、もはやとても難しい時代です。そんなとき、旅というものが僕たちを救ってくれることがあります。世界は広くて、美しくて、手のひらの上に広がる世界よりもずっとずっと暖かい場所がある。

新しい年に願うことは、僕たちがそれぞれの旅を安全に続けられるように、ということ。だから僕は祈ります。自分という人間が作って固くしてしまった自分の境界線を世界に溶かして、感じる心を忘れないように。僕たちが旅を続けられますように。どこにいたって、僕らはいつでも旅に出ることができる。東京にいても、仕事が忙しくても。遠くに行くことだけが旅じゃないし、隣の町に行くことだって旅だということを、僕たちが忘れないように。僕らはそのきっかけを作って、それを思い出せるように、今年も「ローカルの日常の豊かさ」を探して、旅を続けようと思います。

※メトロミニッツ2025年2月号より転載 

※記事は2025年1月20日(月)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります