東北地方の南の玄関口、福島県。東北新幹線なら福島県のほぼ中央に位置する郡山駅まで最短76分でアクセスが可能です。そんな福島県への移住について、実際に移住した3名にインタビューをしてきました。
SPECIAL INTERVIEW 01 転職なき移住/〈福島県・磐梯町〉本田愛さん
東京の会社に勤めながら
かなえる磐梯町での暮らし
「コロナ禍に完全リモートで仕事ができることを体感して、家賃の高い東京の狭い部屋で暮らす必要性を感じなくなりました」
2023年11月、都内での暮らしから、勤め先はそのままに福島県会津地方に位置する磐梯町へ移住を果たした本田愛さんは、移住のきっかけをそう振り返ります。
IT 企業でコンサルティングの経験を積むこと7年。その間、オンラインのビジネススクールに通って、地方の課題を扱うケースワークにも取り組んでいました。
地方創生にデジタル技術を取り込む動きに強い興味を持ち、磐梯町で実際にその推進に取り組んでいる女性に会うべく来町。それがこの町を初めて訪れたきっかけとなります。
「東京近郊の住宅地で育ったので、電車が山々に囲まれた場所を走る感じが新鮮で! 降り立って、こんなに間近に自然があるなんてと驚きましたね。同年代の東京から移住してゲストハウスを始めた人や地域おこし協力隊で地域活性化の活動をしている人など、魅力的な人たちともすぐにつながれました」
タイミングよく、町内の至便な場所にアパートが新築。「広くて家賃はこれまでより安く、環境・人・住まいという、移住しない手はない条件が揃ってしまいました(笑)」
福島県でのテレワークと地域交流を支援する「ふくしまぐらし。×テレワーク支援補助金」(福島県事業)も後押しに。本田さんは、2泊3日から5泊6日までの短期コースを利用。宿泊費や交通費をはじめ、地域体験の費用の一部の補助を受けました。
その上で、「地域体験で地域の魅力に触れ、まずは一冬越してみよう」という軽い気持ちで引っ越し。そして今夏には、磐梯町に住みながら、ステップアップをめざして東京のIT 企業へ転職を果たしました。本田さんが移住して変わったことは、どんなことなのでしょう。
「部屋の窓から雄大な磐梯山が見えるだけでも幸せな気分になります。都心なら非日常の景色が日常の風景としてそこにあって、時間の流れ方がまったく違います。地域の方々と一緒にお祭りを盛り上げたり、地区の集会所で飲み会をしたり。自分たちの手で娯楽を作りあげていくのも愉しいですね。時間の使い方、住む場所、付き合う人が一気に変わって、人生の視野が広がりました」
現在は、勤め先のオフィスへ月の3分の1ほどはリアル出社をしています。本田さんは、移住を経て見えてきたことをこんなふうに語ります。
「上京のつど、交通費と時間はかかりますが、日本のいいところを感じて、地方の魅力を実感できるようになりました。不便ささえも愉しもうとしている節があります(笑)。この先、どんな場所で誰とどんなふうに暮らしていきたいのか、という生き方を考えるきっかけになっています」
SPECIAL INTERVIEW 02 Iターン移住/〈福島県・矢祭町〉佐瀬和宏さん
日本一周して決めた移住先で
町の人に喜ばれるブドウを育てる
久慈川沿いの山々に囲まれた町、矢祭町。東北地方の最南端に位置する、関東に最も近い町です。
千葉県東金市出身の佐瀬和宏さんは、車中泊をしながら日本全国を回る旅に出た後、2019年、福島県に隣接する茨城県大子町へ台風被害のボランティアで訪れました。
「日本一周したのは、地元以外の場所に行ってみたい、なにかを探しに出てみたいとの思いからです。その後、自分のやりたい仕事や移住先を見つけるために約2年間、日本のさまざまな地方で仮住まいをしてみました」
大子町から近くの矢祭町に足を延ばすと、「人も空気も穏やかで、よさそうなところ」と直感。地域おこし協力隊に入隊し、そこでの活動や農業研修を受けて抱いた夢が、宿泊業と農業でした。今では、自身でブドウ農園を営んでいます。
「気軽にみんなが集えるゲストハウスを見て、『いいな』と感じましたし、畑に囲まれたベッドタウンで育ったので、農業は身近でした」
移住したのはコロナ禍真っただ中。まずはブドウ農園を開くことを決意します。果皮ごと食べられる品種を中心に年間約1万房を育てています。
「今シーズンは露店の手売りでほぼ売り切りました。町民の皆さんにも味わっていただきたいですね。次は宿泊業。この町に魅力を感じてくれた人や縁ができた人が、いつでも遊びに帰ってこられる場所を作りたいです」
SPECIAL INTERVIEW 03 Uターン移住/〈福島県・いわき市〉草野菜央さん
手作りの媒体を通して
東北をつなぐHUBになりたい
草野菜央さんの事務所は、波の音が聞こえるほど海の近くにあります。PR業、雑誌の刊行、そして店舗も情報発信できる“媒体”のひとつととらえて、今年、事務所内にライフスタイルショップを開きました。
草野さんは海外留学や東京での就職をするも、「いつかは地元に戻ろう」という想いを抱いていたのです。
「生まれ育ったのも、家族がいるのもここ。東京は刺激的ですが、山も海もある地元が好きで、拠点はいわきがいいと思っていました。『あのおもしろそうな人と知り合いになりたい』と思ったら3人に聞けば大体つながりのある人がいます(笑)」
そういった人の近さも、なにかを始めようとするときの支えになると草野さんは言います。今、自身の手で生み出す媒体を通してめざしているのは、地元のみならず、東北をつなげて地方全体を盛り上げること。
「ユニークな作家さんや地方の特色を発信していきたいと思っています。横のつながりができやすい環境ですし、そのつながりをさらに促すHUBになりたいと考えています」
Uターンと開業を果たして、草野さんが思うのは、移住を重く考えすぎず、ときには自分らしい興味を優先してみてはということ。
「地方はチャレンジがしやすい場ですが、いかに続けられるかが肝。私も模索しながら道を進んでいます」
PHOTO/MASAHIRO SHIMAZAKI WRITING/YUMIKO NUMA
※メトロミニッツ2025年1月号より転載