メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀

【東京都・檜原村】さとやまの雑穀修業

更新日:2024/11/29

昔の人は雑穀をどのようにして食べていたのでしょうか。そう、食べ方や料理のことだけでなく、刈り取って、干して、脱穀し、精穀して・・・。そうした雑穀仕事を知りたくて東京都の西端、檜原村〈ひのはらむら〉へ。いざ、雑穀修業の始まりです!

メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀
檜原村の『さとやま学校・東京 藤倉校舎』の校庭で。雑穀の「先生」こと舩木照枝さん(右)の石臼を挽く手際に見惚れている川上玲子さん(左)

しっかりと生きることの尊さを
雑穀修業が教えてくれた

雑穀仕事を知ることは「生きる力」を学ぶことではないか。そんな仮説を立てて向かったのは、東京西部の檜原村〈ひのはらむら〉、藤倉〈ふじくら〉集落。この場所は檜原村の中で最もインフラ整備が遅く、電気が開通したのは1960年代。それまではほぼ自給自足の生活を送っていたそうです。

急峻な山間だから水田をつくる場所がなく、かつての主食は雑穀や小麦、芋や豆。江戸時代の資料をひも解くと、ヒエとアワが主要な農作物だったようで、「雑穀が命をつないできた土地なんです」と、NPO法人『さとやま学校・東京』理事長、川上玲子〈かわかみれいこ〉さんは教えてくれます。そんな川上さんも、藤倉集落の人々に魅せられたひとり。

メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀
左上/村では「ホモロコシ」と呼ばれていた雑穀のタカキビ。昭和の時代に、ホウキにするために近隣の集落から持ち込まれたのだとか 左下/「箕〈み〉」という昔ながらの農具でタカキビの粒をよりわける 右上/石臼でタカキビの粉を挽いていく。ひき回すにも力がいるが、「先生」は実に軽やかにこなす 右下/あっという間にタカキビ粉の小高い山が石臼の周りに。この粗挽き粉を使って餅をつくります

「“自然との共生”って口では簡単に言えるけど、日々の営みとしてどのようなことをしていたのか。彼らが送ってきた生活は毎日がサバイバル。藤倉の方々に話を聞くと知らないことが次々と出てきて、人間としての暮らしの原点が見えておもしろいんです」

そう感じた川上さんは、かつて小学校だった『さとやま学校・東京 藤倉校舎』を拠点に、藤倉の食文化や畑仕事を地元の人から学ぶワークショップを開催するなどして、暮らしの知恵や技を未来へつなげる活動をしています。

メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀
雑穀仕事の「先生」こと、舩木照枝さんは1940年生まれ。凛として鮮やかな手技は畏敬の域

雑穀食を学び、味わう体験をため、「先生」として来ていただいたのは、藤倉地区で生まれ、暮らしている舩木照枝〈ふなきてるえ〉さん。幼い頃から山々を飛びまわりながら遊び、畑仕事や養蚕をやってきた照枝さんは、生きる力に満ち満ちているような人。子どもの頃から当たり前のように雑穀を食べてきたそうです。

現在、集落の人で雑穀を栽培している人はいませんが、川上さんたち『さとやま学校・東京』では、在来の種をもらい受け、8年前から山の斜面の畑で栽培。藤倉校舎の校庭には、収穫したヒエ、アワ、キビ、タカキビの4種類の雑穀が天日干しされていました。麦でも米でもない不思議な風貌で、この小さな実が命をつないできたと思うと感慨深いものがあります。小ささゆえにこれでお腹を膨らますのはたいへんだろうし、殻と実をわける作業もちまちまとたいへんなことでしょう。川上さんによると、やはり脱穀したあとに殻やかすなどと実をわけるのが、かなりの手間で面倒な作業だといいます。

メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀
左上/『藤倉校舎』の校庭で火をおこし、タカキビ粉をのせた2升のもち米を20分ほどふかす 左下/ふかし立ての湯気が甘い。雑穀修業ということもあり、もち米が隠れるほどタカキビ粉を投入 右/熱々の餅を手早くちぎって修業メンバーにわけながら、同時にあんころ餅をいくつも包む照枝さんの手は働き者の手!

とはいえ、日々の仕事として従事してきた照枝さんにかかればお手のもの。「何十年もやってないわね」と言いながらも体は覚えているようで、よりわける作業に使う「箕〈み〉」という道具を両手でつかむと、ざっざっざっざっと右下へ、左下へ。リズミカルに揺するうちに軽い殻やかすは舞い上がり、実だけが残されていきます。

「簡単そうにやっていますが、こんな鮮やかにはできません」とつぶやく川上さん。雑穀修業に来たものの、照枝さんの動きがあまりにもキレがよくて美しく、教わるのも忘れて見入ってしまいました。続く製粉の工程で機械を使おうとしたら、「石臼でやりましょう」と照枝さん。石臼をひき回しながら一周ごとにタカキビを穴に落とす様子は、まるで優雅な手踊り。もちろん見惚れて、この作業も結局、照枝さんにやってもらいました。

メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀
左/タカキビ粉の割合が多いためか、ずっしり重量感のあるあんころ餅が完成。食感が楽しく、よく噛んで食べるのでお腹も膨れる。素朴でうまい! 右上/川上さんたちが前日に仕込んでおいてくれた粟ぜんざい。集落で育てたアワを使用 右下/『さとやま学校・東京』の川上さん(右)と菅原初芽さん(中央)。ボランティアスタッフの荻野昌史さん

話しているときは穏やかな雰囲気の照枝さんですが、いざ、作業に移るとスイッチが入ったかのように、目に強い意志が宿ります。そして、先の先まで段取りをして、テキパキと動き、いろいろなことを教えてくれます。

「火力はもっと強いほうがいいから、焚き木はこっちにしましょう」「お餅はこうやってちぎると、均等な太さになりますよ」「冷めたら硬くなってしまうから、さっさとやるの」。そんな厳しくもありがたい指導のもとつくったタカキビ入りのお餅は、歯ごたえがよくナッツのような香ばしさ。噛みしめるごとに野生的なおいしさが広がりました。

メトロミニッツ、東京都、檜原村、雑穀
左/おいねのつるいもの煮っころがし(中央)や自家栽培の小麦を練って入れた団子汁(手前右)の昼食 右上/藤倉集落の在りし日を思い、小正月の風習「アボヘボ」を特別に畑に立ててもらった 右下/『藤倉校舎』の校庭で稲架〈はさ〉にかけて乾燥中のアワ、ヒエ、タカキビなどの雑穀

団子汁、キビ入りのごはん、粟ぜんざい、おいねのつるいも(檜原村の在来ジャガイモ)の味噌煮っころがしという、『さとやま学校・東京』で提供する「里山ごはん」を一緒に味わうと、素朴ながらもしみじみとした滋味に嘆息してしまうのでした。

「ね、昔は手間がかかってたいへんだったけど、なんでもおいしかったの」と照枝さんが言うと、「それがあるから、やっていけるんですよね」と川上さん。

かつては正月になると、雑穀入りの餅をつくって飾ったり、仲人さんに配ったり。小正月には、アワとヒエに見立てた「アボヘボ(粟穂稗穂)」という飾りをつくって畑に立て、豊作を願ったという檜原村の暮らし。

照枝さんと出会って、雑穀仕事を学んで、改めて気づいたのが、地に足をつけて働いて、おいしいごはんを食べられることが、どれほど尊くて幸せなことかということ。しっかり前を向いて生きていきたい、そう思ったのでした。

川上さんたちの活動の拠点『藤倉校舎』。約40年前に廃校になった旧藤倉小学校の校舎を改修し活用。宿泊もできる

NPO法人 さとやま学校・東京

豊かな自然とともに生きる術や集落に伝わる暮らしの知恵、技を未来につなぐためのワークショップや農作業体験を開催している。

TEL.042-598-0213
住所/東京都西多摩郡檜原村藤原4814

PHOTO/ETO KIYOKO TEXT/KAYA OKADA

※記事は2024年11月29日(金)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります