青森県,弘前市

VOL.46_青森県・弘前市編_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2024/10/20

熱狂の祭りのあと
気づけばこの街は
秋になっていました

青森県,弘前市

僕らは小さな光を集めながら
不穏な日々をサバイブしていく

「ねぷた祭りが終わったら夏は終わり。たぶんこの街の人はみんなそう思っています」。そんなロマンチックな言葉で季節の移り変わりについて話してくれたのは、弘前で知り合った仕事仲間でした。

弘前は今年ずいぶん通っている街です。僕は祭りの1週間前のこの街に滞在し、実際にその祭りに向かっていく街の独特の様子に胸を打たれました。そして祭りが始まる前に街をあとにし、今日はその「祭りのあと」の街で、この文章を書いています。祭りを見ずに、その祭りを挟んだ前後の街を見たことになります。いたるところから聞こえてきた賑やかな祭囃子の音は鈴虫の声に変わり、街は静かな落ち着きを取り戻していました。そして短いこの街の秋が過ぎれば、あたりいちめんが雪に覆われる長い冬がやってきます。外は雨が降っています。秋の雨。でもこの街の秋は美しいなと、しみじみ感じいっています。

青森県,弘前市

僕は弘前にあるれんが倉庫美術館で開催中の「どうやってこの世界に生まれてきたの?」という展示を観るためにここを訪れ、いまそれを観終わった高揚感を鎮めるために、美術館のフリーラウンジに座っています。正直、少しだけ呆然としています。

「現在の世界では、理解できないことや他者への怖れによって引き起こされる、終わりの見えない争いや分断が絶えることはありません」。この企画展のはじめに、美術館館長の木村さんがこう記し、そこからこの企画展は始まっています。

すべての作品は、その問いに対して、それぞれ国籍や宗教、環境や生まれた年代の違うアーティストによるアプローチがなされています。そして様々な手法でそれはわたしたちに問いかけています。もちろん、そこには問いに対する明確な答えはありません。もし明確な答えがあるのなら、この世界に分断など起こっていないはずです。わたしたちは「それを考えるのをやめない」ということを、この答えのない作品たちから感じ取ることができます。そしてそれこそが、アートというものの力であり、本質なのかもしれないと、作品を観ながら感じました。僕がそれらの作品から共通して感じとったのは、言語化すると「不穏」という言葉でした。時間がたったら変わるかもしれないけど、少なくとも今はその言葉が心の中に居座っています。たぶんそれだけ今の世界が穏やかじゃないってことなのだと、ぼんやりと考えています。不穏な世界。

青森県,弘前市

弘前に限らず、青森県はアートを鑑賞しながら旅をするのに適しています。青森県立美術館にはシャガールが描いた「アレコ」という舞台の4枚の背景画のための部屋があります。十和田には、現代美術のパワーをまざまざと感じさせられるすばらしい美術館があります。それらを訪ねながら、土地で食べられているものを食べ、地域の豊かさを感じながら旅をすることは、スペシャルな体験だなと思います。僕らは考えるために旅をする。もはやなにも考えなくても(僕らが考えないと都合がいい人たちがたくさんいる)すべてが事足りて、それっぽい日々が送れるこの世界で、僕らが考えることの大切さを教えてくれるのが旅です。

昨日の夜、1軒のバーで生のシードルを飲みました。それは飲んだことのないなめらかな味でした。そのあと、太宰治の好物だったといわれる筋子と納豆を載せたご飯と地酒を飲み、ラーメンを食べました(2回締めてる)。そして今日、昨日のバーのスタッフが淹れてくれるコーヒーを飲みにまた同じ店を訪ねました。彼は津軽なまりの言葉で、いつかオープンする自分のお店のことを話してくれました(バーは手伝いだそう)。それはとてもいい笑顔でした。

不穏な世界を生きていく僕たちは、その闇を照らす光を集めていかなくてはなりません。そして彼のコーヒーやその笑顔は、間違いなくその光のひとつなのだと思います。僕らはそういう見落としてしまいそうな小さな光を大切に集めながら、手のひらからこぼさないようにして、この不穏な日々をサバイブしていくのだと、最高にうまいエチオピア産のコーヒーを飲みながら思ったのです。

※メトロミニッツ2024年11月号より転載 

※記事は2024年10月20日(日)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります