創業70年を迎える長野県松本の印刷会社。自社主催イベント「心刷祭」や、小規模の出版物を「クラフトプレス」として価値化するなど、出版業界に留まらない新しい印刷の可能性を広げる「藤原印刷 株式会社」がだいじにしているのは、“お客様の笑顔を「みんなで」つくる意識”。
長野県松本市に、出版業界のみならずクリエイターからも厚い信頼を集める印刷会社があります。その快進撃を演出しているのが、創業者の孫である藤原兄弟。現社長の母も含め、いわゆる「同族企業」でありながら、チャレンジングに社員が活躍し、業績を伸ばすだけでなく、印刷会社の枠にとらわれない仕事で注目を集めています。「アニキ」、「章次」とお互いを呼び合い、社員からも信頼の厚い2人に、サラリーマンのおもしろさを聞くべく松本を訪ねました。しかしここに至るまでには、2人にも紆余曲折があったようです…。
隆充:僕が入社して最初にやったのは新卒採用でした。製造業は初めてだったので採用しかできなかった。でも採用した人の多くが辞めてしまったんです。僕はとにかくこの会社のビジョンとかミッションよりも、優秀で能力の高い行動力のある人を採れば、その人たちの活躍で会社がよくなると思っていたんですね。でもそれは間違えていました。社長は「社員は家族」だと考えていて、採用する人は「人として信じられるか?」を大切にしなさいと。結局それが僕たち藤原印刷の基盤を作っているんですね。やはり会社は「人」なんだということは母から学びました。
章次:僕は両親からの反対を押し切ってこの会社に入れてもらいましたが、ベンチャーからの転職ということもあって、最初はこの会社のあらゆることのスピードの遅さに辟易していました。だから自分で会社を変えたいと思い、とにかく行動して結果を出すしかないと考えていました。
隆充:結果的に章次のその行動が、この会社が変わる転機になったよね。
章次:あの頃はまだ99%出版社の仕事しかしてなくて、今みたいにクラフトプレスを請け負ったことはありませんでした。でも業界の課題をよく見たら印刷に満足していない人は出版社よりむしろデザイナーやカメラマンといったクリエイターに多かった。だから彼らにアプローチをしたら、そこにはたくさんのおもしろい仕事があったんです。でも最初は「それはウチがやる仕事じゃない」とか、現場からの反発ばかりでした…。でもウチのいいところはみんな「仕事に真摯」なところ。僕が今までにない面倒な仕事を持ってきても、結局最後は必ず現場のみんながそれを最高の形にしてくれたんです。
結果的に章次さんが会社の新境地を切り開いたと。
隆充:はい。確実に潮目は変わったと思います。例えばクラフトプレスが増えたことで印刷立ち会いに松本の本社へたくさんお客様が来ていただけるようになりました。それまで年に3人ぐらいだったんですが、今や150人ほど。個人やクリエイターこそ色にこだわりますからね。立ち会いに来られた方は現場の社員が対応します。色にこだわるお客様との真剣勝負です。良い色が出ればお客様が笑顔になり、期待を超えることができれば感動してもらえます。現場の社員にとっては目の前で喜ぶ姿を見れるのが嬉しい。さらに刷ったものをSNSで#藤原印刷をつけてアップしてくれたらやりがいに繋がらないわけないですよね。社員がお客様を満足させた機会が増えていくほど、会社は変わっていきました。
章次:そうそう。俺たちの仕事は印刷をすることじゃなくて、お客さんの満足いく成果物を印刷でサポートすることだからね。でもアニキも言ったように、それはみんなだからこそできる。会社は個人の集合体。3億円の印刷機は個人じゃ買えないし、それを使ってみんなでいい仕事ができるのが、サラリーマンのおもしろさなんですよね。
隆充:ホントにその通り。それと会社の歴史とか伝統はお金では買えなくて、会社の信頼があるから、新しいことへチャレンジできる。それはここで働いてくれた人たちの実績の積み重ねそのものだし、俺たちも振り返ったときに歴史の積み重ねに貢献できたらいい。そこに参加できるのがサラリーマン。それから人は深く沈めば沈んだほど高くジャンプできる。最初からうまくいく仕事なんてない。この期間をともに過ごす仲間がいて、下積み期間があって、それを会社は守る。その経験ができるサラリーマンって、やっぱりおもしろいよね。
PHOTO/NAOKI SHIMODA WRITING/KAORUKO SEYA
※メトロミニッツ2024年6月号より転載