鹿児島のいちき串木野は焼酎の町であり、港がある海の町でもある。そこで生まれ育ったアートディレクター榎木さんの語る、この町の日常を歩いてみた。夕日あり、名喫茶店あり、しみじみ染み入る日常をご案内
なにげない日常の中にこそ
発見する喜びがある
しみじみ染み入る
味、音、思い
いちき串木野の海岸はほぼ西向きで、目の前には東シナ海が広がっている。「串木野と言えばやっぱり海。東シナ海には青春がある。照島海岸の夕日は泣けるんです」と言う、いちき串木野出身アートディレクター榎木さんの言葉に導かれ、海岸沿いを散歩してみる。
3kmの砂浜が続く照島海岸では、毎年4月、浜競馬大会なるものが開かれる。ポニーやサラブレッドだけでなく農耕馬も走るというこのレース、1958年に荷馬車組合が花見の余興として開催したものが今も続いているからおもしろい。
さらには菓子組合と観光協会が浜競馬の名物をつくりたいと、20年ほど前に「ばふ~ん饅頭」というお菓子が考案された。普段は、浜競馬の時期にしか販売しないが、あずま菓子舗では4箱以上予約すればつくってくれるというからお願いしてみた。
味わいは素朴で小麦粉、黒糖、重曹を混ぜて蒸す、鹿児島でよく食べられるふくれ菓子である。上にのった棒菓子は、本数によって中の餡が、小豆、サツマイモ、みそ餡かを区別するのと同時に、“馬の落としもの”に混入した藁に見立てているのだと、店主、東宏人さんは教えてくれた。ばふ~んをはじめ、東さんがつくるお菓子はしみじみおいしい。潔いほどシンプルなのだけど優しい味わいで、じわじわ染み入ってくる。
旅先では、日常に溶け込みながら、しみじみできる場所にぜひとも行きたいし、しみじみおいしいものを食べていたい。榎木さんおすすめの「蘭蘭」も町の人に愛される、しみじみできる中華料理店だ。天津丼をお願いするとたっぷりした餡とともにやってきた。この餡がパンチのあるおいしさで、酸っぱくて、香ばしくて、しっかり甘い。榎木さんが帰省したときに食べたくなるというのも頷ける。
いちき串木野が誇る「JAZZ& 自家焙煎珈琲 パラゴン」も、しみじみできる喫茶店だ。名前の由来はアメリカの音響機器メーカーJBLのスピーカーシステムで、店の奥に設置されている。「でも、1976年の開店当時はまだなくて、設置できたのはその2年後なんですけどね」と、マスターの須納瀬和久さんは、はにかんだ笑顔で教えてくれた。
コーヒーは自家焙煎で、注文すると濃厚な生クリームがついてくる。「深煎りなので生クリームが合うんです。でも、ブラックで飲んでも、水で割ってもいいんです。コーヒーは自由ですから」。凜としたたずまいでカウンターに立つ須納瀬さんだけれども、その思いは店のはしばしにまで通っているようで、おしゃべりをしたり、本を読んだり、仕事をしたりと、それぞれが自由に過ごしている。
開店当初は、ジャズ喫茶だけではやっていけなかったから、洋食屋として営業していた時期もあったと言うが客がたくさん来て忙しくなりすぎたため、もともとやりたかったジャズ喫茶へと心新たに仕切り直したということも教えてくれた。「串木野にパラゴンがあって本当によかった。ここが文化の灯火だった」という大和桜酒造、若松さんの言を思い出す。たくさんの人が並ぼうと、県外から人が来ようと、やることは同じ。窓ガラスを磨いて、焙煎した豆でコーヒーを1杯1杯しっかりと淹れ、ジャズを流す。
こうして変わらない日常がいちき串木野で繰り返される。いもを洗ったり、つけあげを練ったり、揚げたり、冷蔵庫にしまったり。そして、日没が近づくと手を止めて海を眺める。東シナ海へ沈む夕日が、あたりを暖かい色で染めあげながら。
取材させていただいたお店はこちら
菓子◆あずま菓子舗
TEL.0996-32-2091
鹿児島県いちき串木野市高見町8
営業時間/8:00 ~暗くなるまで
不定休
喫茶店◆JAZZ&自家焙煎珈琲 パラゴン
TEL.0996-32-1776
鹿児島県いちき串木野市昭和通102
営業時間/12:00~18:00(LO) 日22:00~24:00はフルボリュームJazz Audio Time
火・第1月定休
パラゴンInstagram
中華料理◆蘭蘭
TEL.0996-32-8768
鹿児島県いちき串木野市昭和通285
営業時間/11:30~14:00 土11:30~14:00、17:30〜20:00
月・第2火定休
今回ご案内いただいた方
▼『ALUHI』アートディレクター 榎木里奈さん
いちき串木野市出身。東京在住。東京のデザイン事務所を経て、REINA NICO という名でアートディレクター・グラフィックデザイナーとして活動中。いちき串木野市ではフリーマガジン「ALUHI」、「焼酎ツーリズムかごしま」のデザインを担当
PHOTO/MEGUMI SEKI WRITING/KAYA OKADA
※メトロミニッツ2024年3月号より転載