暮らしを旅する 使い古されたその言葉を ありありと感じた日々だった
これからの新しい観光の形は
暮らしを訪ねる旅がいい
大分県の日田という街の駅前に「寶屋」という食堂があって、その食堂は夕方になると毎日地元の人でにぎわいます。この街の名物でもあるちゃんぽん(長崎が有名ですが、日田のちゃんぽんも郷土食なのです)を楽しそうに食べる家族連れや、スーツを着た仕事帰りのサラリーマンが1人静かに定食を食べる幸せな風景が忘れられず、そこに紛れ込んで僕もビールを飲んだことをときどき思い出します。
神奈川県の三崎はまぐろの街として有名ですが、僕はこの街の「牡丹」という中華料理屋が大好きで、ここの焼売を酢醤油と和からしにひたひたに浸して食べ、レバーを一度揚げてからタレで炒める唯一無二のレバニラをつまみにビールを飲む至福の昼ごはんのためだけにこの街に通っています。
ほかにも京都に行ったら必ず訪問するようになった「TORADORA RECORD」、高知市の外れにある古着屋の「BANG!」。全国のあちこちに、いわゆる「いきつけ」のようなものができ、挨拶を交わす人が増えていきました。
メトロミニッツのコンセプトを「豊かな暮らしのヒントはローカルの『日常』にある」という言葉でリブランディングして、3年が経とうとしています。36冊のメトロミニッツをこの言葉を起点に作る日々の中で僕は、確信めいた感情を持ちました。言葉にするとそれは「地域の日常こそ、最高の観光コンテンツ」だということです。
例えば「いちばん透明度の高い海」「世界遺産の絶景」「歴史的建造物」といったわかりやすい価値基準を持ち出すと、一等賞はひとつです。上位ランカーも決まってきます。そのような観光資源を持っている場所は一握り。もちろんそれはひとつの価値ですが、その価値に多くの人が群がることで、近年はオーバーツーリズムの問題も顕在化してきています。
僕たちは忙しい日々を過ごしています。それゆえに旅をすることは「非日常」なことであると、多くの人がそう位置付けてきました。しかしインフラの整備や働き方の変化、価値観の多様化により、以前よりは移動や休日の考え方も変わってきました。その変化の中で、旅をするという価値観もいよいよ少しずつ変わってきているなあと感じます。10年くらい前に「暮らすように旅をする」という言葉がずいぶん使われました。メディアに携わる人間として僕もその言葉を使っていましたが、言葉を選ばずに正直に言えば、その言葉はまだ当時は上滑りをしていたところがあるように感じます。
しかし、今はそれがはっきりとリアルな言葉に変わってきているのを感じます。今こそその旅に名前を付けると「暮らし観光」とか「日常観光」という言葉がしっくりくるなと、僕はそう感じます。
誤解のないようにお伝えすると、僕は沖縄の美しい海のことも、京都の古いお寺を訪ねることも大好きです。そこには僕たちが守るべき価値があり、僕たちを惹きつけてやまない魅力がある。だからこそ多くの人に支持されている。伝えたいのは、旅の動機や意味をそこ「だけ」に置くのはもったいないということです。せっかくの休みの有限な時間を、最大限の感動で埋め尽くしたいという気持ちはよくわかります。でも、僕たちという有限な容れ物に非日常の美しいものだけを入れていっても、そこにはきっと「だいたい同じもの」が入っていく。それならばそのあなただけの容れ物の中に、自分だけの場所を作っていくことができたら、そこはあなたの場所になっていく。それが暮らし観光の素晴らしいところだと、僕は思います。
来年の僕たちは、もっとみなさんの「暮らし観光」のお手伝いができればと思います。日本はまだまだ知らないことであふれています。自分が住んでいる場所が「日本」だと思うことができれば、すべての街が日常という旅先になる。本当は僕がみなさんに「牡丹」で焼売ビールをごちそうしたいところですが、なかなかそうもいきませんので、いい雑誌を作っていきたいと思います。そして来年はもっとみなさんにみなさんの住む街のことを教えてもらえたらいいなと、そんなことを思う年の瀬です。
今年も読んでくださり、ありがとうございました。来年も変わらず読んでいただけたらと思います。
※メトロミニッツ2024年1月号より転載