僕が失ったもの 僕が手に入れたもの 鏡のような友達のこと
ピーター・パンは今日も
おいしいコーヒーを淹れている
「ハワイのマウイ島で大きな山火事があったでしょう? 俺はハワイが好きだし、ずいぶんたくさんの価値観をハワイからもらったから、チャリティのバザーで寄付を集めて現地にお金を送ろうと思うんだ。マコトもなにか出してよ」
逗子の名店として知られるビーチマフィンで店舗を間借りして、毎週月曜日と火曜日にスワンコーヒーという屋号でお店を出している僕の友達は、おもむろにそんなことを話し始めました。その日、僕たちは2人、居酒屋でハイボールを飲んでいました。彼が25年務めたアメリカのコーヒーチェーンを辞めたと聞いて、僕のほうから彼を誘ったのです。
彼は、自分は無職になって悪くない気分だと言いました。失業保険が出る間にこれからのことはゆっくり考えると。彼は高校時代の同級生で、今でも付き合いの続く数少ない友人であり、なんでも言い合える仲間でした。彼は会社を辞めた理由をこう語りました。
「大学を卒業したときと今では会社の規模が変わっちゃったんだ。会社が大きくなって、環境への負荷とか、食べ物の無駄とか、自分ではどうしようもないことがやっぱり気になってさ。それは会社だから仕方ないんだろうけど、俺はもっと未来を生きる子供たちに胸を張って誇れる仕事をしないといけないと思ったんだよね」
20年以上正社員として働いた会社を辞めた彼のことが心配で約束を取りつけた自分としては、彼のその明るさと余裕に少しホッとしました。同時にその日の僕はなんだか疲れていて、口から出たのはうらはらに少し強い言葉でした。
「その気持ちはわかる。チャリティもいいと思う。理想はわかった。でもさ、そうは言っても、それで辞めてよかったのか? それにゆっくり考えている時間なんてないだろう? お前は子供だっているんだし、葉山の家の家賃だって払わなくちゃいけない。まずは働いて安定して稼ぐのが先だろう。俺たちもう好きなことだけやってられないんだよ。ずっとピーター・パンじゃいられないんだ」
先のことを決めずに会社を辞め、理想ややりたいことを語り、どこか現実味のない発言に終始しているように感じる彼に僕は少し苛立ち、そんなことを言ってしまったのです。
「でもピーター・パンってすごいよね。それを価値にしちゃったんだからさ」
彼はのんきにそう答え、僕はそれでさらにまた少し苛立ちました。
でも、帰り道に僕は自分の発言を悔いました。さっき僕が彼に言ったことや感じたことは、僕がいちばん忌み嫌っている「他人への干渉」そのものでした。僕が彼だったら、間違いなく大きなお世話だと感じると思ったのです。そんなことは「言われなくても自分でわかっている」と。そして僕は思ったのです。たぶん僕は、いつまでも自分の「理想」や「思い」を生きることの真ん中に置いている彼のことが、眩しく、羨ましかったのだと。そしてなにより僕はどうしてそんなつまらないことを言う人間になってしまったのだろうって、自分のことなんだが悲しかったのだと思います。
高校生の頃から、彼は「誰かのため」に自分を使える人間でした。同時に自分のやりたいことをまずは優先してやる「自分勝手」なところのある人間でした。簡単に言うと、自分に素直な人間なのだと思います。そして、それは今も全然変わっていない。彼は大学を卒業した後の人生の時間をずっとコーヒーにかけています。彼が焙煎し、淹れてくれるコーヒーは、さすがに25年コーヒーのことを考えてきた人間だけあって、そこに情熱が注ぎ込まれていることが伝わってくる味がします。いつも感心してしまうくらい。
ある月曜日の夕方、僕は逗子のビーチマフィンを訪れ、自分のTシャツやスニーカーをチャリティの商品として彼に手渡しました。
「暇そうだな」
「さっきまで混んでいたんだよ」
彼が淹れてくれたアイスコーヒーは、夏の終わりの味がしました。もちろんそれは言うまでもなく、素直に「うまい」1杯でした。
※メトロミニッツ2023年10月号より転載