山梨県 笛吹市

VOL.32_日本のどこか編_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2023/08/20

知りたがりの僕らは今日も 自分を別のものに委ねて 知った気になっている

知らない街が好きなのは
知らないことがたくさんあるから

メトロミニッツをつくるようになり、東京のみなさんに日本の地域の情報をお届けするようになって、当然のことですが知らない街に行くことが増えました。いろいろな人にお会いする中で、その毎日に対しての反応はおおむね2つに分かれます。「あちこちに行けていいですね」というポジティブなものと「忙しくて大変そうですね」というややネガティブなものです。

もちろん移動が多い日々で疲れを感じることもあります。そしてもちろん知らない街へ行けることは楽しいことでもあります。すべてのものごとにはポジティブな面とネガティブな面がある。コインに表と裏があるのと一緒です。僕たちはすぐに二元論で語りたがるけど、そんなに白黒はっきりしたものなんて僕らの暮らしの中にはそう多くはありません。

そして日々というのは「うまくくことのほうが少ない」と思っているほうがうまくいくということを、僕は経験的に学びました。そう考えると、なにごとも構えずに、ものごとをフラットに受け止め、自分の頭で考えて選びながら進んでいくというのは、僕のささやかな行動指針のようなものになっているような気がします。「やってくるものを受け止める」ということと「自分の頭で考える」ということは、特に僕がいつも大切にしていることです。

もちろん準備すべきことに対しては準備していますが、準備が役に立たないこともあるし、そのときになってみないとわからないことが多いのが毎日です。そういう意味では僕はその自分の「瞬発力」のようなものを信じているのかもしれません。あるいは諦めているとも言えるかもしれません。やってくるものを恐れすぎないと言うとニュアンスが違いますが、結局やってくるものはやってくるし、やってこないものはやってこない。それを自分で決められることってほとんどないんじゃないかなと思うのです。

知らない街を歩くのが好きです。そこになにがあるか「わからない」というのは、とてもワクワクするものです。知らない街で必ず探すのがレコード屋さんと古本屋さん。地方のレコード屋さんのドアを開けて棚を掘るときのワクワクは、ほかのなににも代えられません。そこでずっと探していたレコードに出会ったり、東京で5000円出して買ったレコードが800円で売られていたり、その偶然の出会いがとにかく楽しいのです。

僕たちはいつの間にか、ほとんどのものに先回りをし、先回りをされることが当たり前の世界に生きているのかもしれません。ネットで猫のご飯を買うと、AIに次々と猫グッズを薦められます。インスタでスニーカーを見ていると、フィード上はスニーカーや洋服であふれます。ラインの既読がついたかどうかを確認し、よせばいいのに誰かのインスタをのぞき見して勝手に傷ついたりしている。バカみたいに自分から「知らないこと」を排除しようとしている。そんなことにあまり意味を感じていないのに、それなのに。

旅をすると、知らないことに直面します。おいしいお店を知らない、そこに住む人を知らない、その土地の記憶を知らない。そしてそれは、豊かなことだと思うのです。その街のレコード屋さんに僕は行ったことがない。店主はどんな音楽が好きなのか知らない。そもそもどこにレコード屋があるのかも知らない。それが「やってくるものを受け止める」ということと同義であるかはわかりませんが、僕にとって旅が好きな理由は、少なくとも「知らない」に身を置けるということが大きなものなのです。

このレコードはあの街で買った。誰と一緒だった。レコードに針を落とすとき、そんな思い出も一緒によみがえってくる。それは先回りされまくる僕らの毎日の中で、つかの間だけど時間を止めて、時間を巻き戻せる瞬間。だってそんなに先回りしないでよって思います。それよりも僕は自分が大切にしてきた、誰かにとってはガラクタみたいなものに興味がある。それが僕たちの生きる世界をおもしろくしているし、この世界を進んでいく勇気にだってなる。そう思うんですよね。

※メトロミニッツ2023年9月号より転載 

※記事は2023年8月20日(日)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります