旅をしながら考えた とてもとても難しい サステナブルという言葉について
日本の地域にたくさんある
サステナブルのかけらについて
サステナブルとか持続可能とか、サーキュラーエコノミーだとかカーボンニュートラルとか、難しい言葉とともにSDGsの達成が社会の最重要課題と認識されてずいぶんたちました。実際僕たちの日常においても、人々の意識はだいぶ変わってきたように思います。スーパーのレジ袋は有料になり、コーヒーのストローは紙になりました。たくさんの人がマイボトルを持っているし、ビシッと決めたスーツのサラリーマンの胸にはピッカリとバッジが光っています。僕も、自分にできることは淡々とやろうという思いで、そういうことに意識的であるようにはしています。僕らは地球に生かされているし、生きているあいだ地球に住まわせてもらっている。
でも、日本中を旅する暮らしの中で、感じることがあります。それは日本の地域の暮らしの中にも、見習うべきサステナブルは多いということです。そしてそこで暮らす人たちはそれを「サステナブル」とも「SDGs」とも呼んでいません。それはあくまで「暮らしの知恵」であり、「暮らし」そのものであることが多いのです。
たとえば僕が好きで通っている高知県は、「サステナブルな魅力」に溢れています。天日塩という、高知で作られている「塩」があります。
高知県は敷地面積の84%が森という日本一の森林率を誇る県です。そして高知は多雨で知られています。その森に降る雨が土に浸み込み、川となってミネラル分を残したまま海に流れ込んでいます。その海水を汲み上げて太陽光にさらし、光と風だけで塩ができあがります。電力は使っていませんし、二酸化炭素は一切排出されません。高知はカツオのたたきが有名ですが、食卓にある天日塩でカツオを食べるのは、ずっと前からここでは「ふつう」の晩ごはんの風景でした。目の前の海でとれた魚を、海の水から作ったお塩でいただく。豊かな暮らしのヒントが、そこには確かにあります。
高知県東部、人口約800人の馬路村は、ゆずの生産が盛んです。「ごっくん馬路村」というゆずジュースを飲んだことがある人も多いのではないでしょうか?
村民の多くがゆず農家。農協やゆずの加工場では約100人の村民が働いています。そこは必要以上の機械化をせず、箱詰めや発送も手作業。毎日ここから全国に村のゆず製品が出荷されていきます。
その100人が行う箱詰めや発送などの作業は、機械化することで大幅な効率化が可能なことがわかっています。しかし馬路村はこの工程を今も村の人たちの手で続けています。それは村民の雇用を護ることであり、村民が村で長く暮らしていくための持続可能な施策です。そしてそれを手で行うことにより、そこには「ぬくもり」のようなものが宿ります。全国に多くのファンがいるということは、その豊かさを多くの人が享受し、それに理解と共感をしていることの現れなのだと思います。
そしてゆずはムダのない果物です。果汁はもちろん、薄皮はおが屑や堆肥にまぜて農家に無料で配布、種は化粧品に加工されるなど、ムダをつくらない循環ができあがっています。
最初に書いたように、これらの日々のことに対して、彼らはどのような「サステナブル的な」言葉も使っていません。それはそこにある「暮らし」そのものです。
僕たちが環境のことを考えるとき、どうしても、まずなにかしなければと思ってしまいます。でももしかしたらその前に、もう少し学ぶことや知ることに意識を向けてもいいのかもしれないなと感じています。まずは落ち着いて。
「豊かな暮らしのヒントはローカルの『日常』にある」という言葉を真ん中においてメトロミニッツを作っています。旅をすることは、目線を上げ、視野を広げること。自作自演の「持続可能な社会」にならないように、日本の地域から僕たちがもっと学べるといいなと思います。そして旅をすることでそれができるとしたら、そこに「僕らが旅に出る理由」が、ひとつ加わるんじゃないかなと思います。
Photo/KYOKA MUNEMURA
※メトロミニッツ2023年4月号より転載