天使や幻獣に彩られた異世界を描く人気画家、網代幸介さんが作家の宮田珠己さんとともに巡る日光東照宮の旅(前編)。修学旅行や遠足でおなじみの場所も、アーティストの眼を通して歩いてみると、愉快で不思議な世界が広がっているのでした
少年時代に画家が心つかまれた
不思議の国の日光東照宮
画家の網代幸介さんといっしょに旅をすることになった。誰か気になる人と旅をして来いと編集部に命じられ、網代さんに白羽の矢を立てたのである。
網代さんとは、いっしょに本を作った仲だ。私の中世を舞台にした奇想冒険小説『アーサー· マンデヴィルの不合理な冒険』に装画を描いてくれたのだ。網代さんの絵は、西洋中世をモチーフにしたものが多く、明るいようで陰があり、かわいいようで不気味でもある独特なタッチが特徴である。本人は、絵からのイメージで、陰気な人なのでは、と想像していたら、予想とまったく違って、すらりとしたにこやかな青年だった。
網代さんが今一番行きたいところを尋ねてみると
「日光東照宮が好きなんです」
との答えが返ってきた。小学校の修学旅行で訪れてハマったのだそう。
以来5、6回は行ったが、ここ15年ぐらい行ってないので、久しぶりに行ってみたいとのこと。
修学旅行で神社仏閣に興味を持つとは、すごい小学生である。ふつうは夜の枕投げぐらいしか記憶に残らないものだ。いったい日光東照宮の何が網代少年の琴線に触れたのか。ぜひ現地へ行って確認したい。
というわけで冬のある朝、東武鉄道の浅草駅に集合、特急スペーシアに乗って日光へ向かったのだった。網代さんには、旅のあとに日光の印象を絵にしてもらい、今回の記事の挿絵として使わせてほしいとあらかじめ打診してあった。小さな挿絵を2つか3つ描いてもらおうと思っていたら、スペーシアに乗るなり、
「記憶のなかの日光東照宮を描いてきました」
と言って、網代さんはかばんからビニール袋を取り出した。
え、もう描いたんですか。めちゃめちゃ前のめりじゃないですか!
袋の中から現れたのは、巻物だった。
巻物?
実は小説の装画をお願いしたときも、網代さんは絵巻を描いてきた。頼んだのは普通の挿絵だったが、小説を読むと興が乗って、これは絵巻を描かなきゃ、と思ったのだそうだ。
長さ4メートルぐらいあり、そんな壮大なものを描いてもらって大変ありがたいけれども、今回はたかが1泊2日の紀行エッセイの挿絵である。仕事のパワー配分が間違っているのではないか。
しかし画家には、常人の理屈は通用しない。このぐらいの依頼にはこのぐらいの仕事という社会通念を超えて、日光東照宮への思いが絵巻を描かせたのであり、この絵巻はもう描かれる運命にあったと言わざるを得ない。
『裏日光』と題されたそれを広げると、網代さんの記憶と妄想をもとに描かれた脳内日光東照宮が姿を現した。
すごい! と思わず声が出た。
そこには、東照宮と言われればそのようでもあり、同時にこの世のものとは思えない、現実と幻想が渾然一体となった謎の異世界神社が広がっていたからだ。
冒頭に判読不能の文字が描かれた扉絵があり、その横に徳川家康とおぼしき人物の姿が見える。家康の頭に蛇が乗っているのはどういうことであろうか。宇賀神(うがじん、※)にでもなったのだろうか。
その隣には赤い頭巾を被った僧形の人物がいて、網代さんによればこれは天海(てんかい)だそうである。天海とは、家康の葬儀を取り仕切り、日光東照宮の造営にも関わったとされる家康の側近だが、その出自は謎に包まれており、本能寺の変を生き延びた明智光秀だという説もある。
その天海が乗っている六輪車のようなものがわからないが、家康と天海の上空を飛ぶ3人組も誰だかわからない。網代さんに聞いても、わからないとのことだった。
そこから絵巻はさらに境内図や三猿(さんざる)、陽明門(ようめいもん)に眠り猫と、日光東照宮の著名なスポットが順次描かれていく。これまで網代さんの作品といえば、西洋中世風の絵が中心だったが、これは和の情緒がふんだんに取り入れられていて、画家・網代幸介の新境地といってもいいかもしれない。
「ほんとに日光東照宮が好きだったんですね」
「何度も行きたくなります」
(後編へつづく)
*宇賀神・・・福の神。人頭蛇身の姿で弁財天像の頭頂部に置かれることが多い
日光東照宮
世界文化遺産「日光の社寺」の構成要素である日光東照宮。家康公の霊廟として1617(元和3)年に創建、現在の豪奢な社殿群の多くは3 代将軍家光公による「寛永の大造替」で造営された
TEL/0288-54-0560
住所/栃木県日光市山内2301
拝観時間/9:00 ~ 16:00(4月~10月は ~17:00、入場は閉門30分前まで)、無休
拝観料/1300円
網代さんが前のめりで描いた
『裏日光』絵巻の全貌
日光旅の途中だが、ここで網代さんが今回描いた絵巻について解説していく。
【まえがき】
今から30年ほど前、小学校の修学旅行で日光東照宮を訪れた網代少年は、その驚異に満ちた濃密な装飾に衝撃を受け、その後も何度か通ったという。今回約15年ぶりに訪れるにあたり、記憶に残る日光東照宮と現在の姿を比べてみようと描かれたのがこの絵巻である。眺めてみると、似ているようで似ておらず、また似ていないようで似ているという摩訶不思議な世界ができあがっている。果たしてこれは30年前に網代少年が実際に見た姿なのか、それとも画家の妄想の中だけの世界なのか、答えは読者の判断に委ねたい。
【裏日光POINT01 裏日光縁起扉絵】
謎の文字が書かれた扉絵。上は漢字風で、下はアルファベット風。異界の字で日光と書いてあるのだろうか。
【裏日光POINT02 神君・家康公と怪僧・天海】
家康の髷(まげ)は蛇となり、天海は六輪の謎の車に乗る。果たしてこれは何を意味するのか。そして家康の視線が天海に注がれ、天海は猫をかわいがっている。主であるはずの家康が天海の気を惹(ひ)こうとしているのだろうか。謎だ。
【裏日光POINT03 裏日光境内全域図】
日光東照宮の境内では、表門(おもてもん)から陽明門への参道はクランクのように折れ曲がっているが、網代さんはそんな記憶はないと主張。最上部の赤い岩はここから徳川家光が生まれた奇岩とのこと。聞いたことがないエピソードだ。
【裏日光POINT04 中禅寺湖と牛に乗る聖人】
この世界では中禅寺湖は日光東照宮の西にあり、謎の生物チュッシーが棲息している。右側の日輪のなかで牛に乗るのは天海だろうか。一部絵がはがれてしまっているが、発掘された古い絵巻にはありがちなことと網代さん。
【裏日光POINT05 麗しき表門】
剣を持つ天女と金剛杵(こんごうしょ)を持つ人物が門を守る。雷神みたいな怪人は、網代さんも何だかわからないらしい。
【裏日光POINT06 謎深き五重塔】
五重塔の内部にはひょうたんがたくさんぶら下がっており、各階に個室があって、侍がひょうたん菩薩(ぼさつ)に懺悔(ざんげ)を聞いてもらう部屋になっていたという。懺悔するときは頭巾を被って顔を隠すようだ。ひょうたん菩薩って何?
【裏日光POINT07 上神庫の象】
上神庫(かみじんこ)の壁面に2頭の象の彫刻があり、それを表した絵と思われる。ずいぶんかわいい象になっている。
【裏日光POINT08 新解釈・三猿】
神厩舎(しんきゅうしゃ)には有名な三猿の彫刻があるが、アジロワールドでは「見ざる言わざる聞かざる」ではなく、「見せザル言わさザル聞かさザル」になる。尻尾の先に葵の紋があると網代さんは主張するが、実物では松の枝の彫刻である。
【裏日光POINT09 斬新な陽明門】
昔見た陽明門はケーキのミルフィーユのようだったと網代さん。そんなふうに見えなくもない。折り重なっているのは猫だろうか。亀と蛇が門の両脇を守る。右側上部に火の神が祀られているというが、なぜなのかは不明。
【裏日光POINT10 陽明門そばの梵鐘】
燭台(しょくだい)と合体した奇妙な梵鐘(ぼんしょう)。現地では陽明門の手前に鐘楼(しょうろう)があるが、その隣に燭台が設置されていた。網代少年はそれをいっしょくたに記憶したのかもしれない。ただし鐘を捧げる半分魚の生きものは現場にはいなかった。
【裏日光POINT11 廻廊の彫刻】
日光東照宮では陽明門の両側に見事な彫刻の廻廊(かいろう)が見られるが、この絵はそれを描いたものと思われる。上はカラフルな羽根のある双頭の奇妙な生きもの、下は象だろうか、台座に乗ったぷにぷにした生きものが描かれている。
【裏日光POINT12 神秘の本殿】
神秘のヴェールに包まれた本殿。アジロワールドでもその門は固く閉ざされている。2階の窓に見える人物は誰だろう。右側に魚の泳ぐ池が見えるが、現地にはなく、このへんに裏日光の秘密が隠されているのかもしれない。
【裏日光POINT13 奥宮の御宝塔】
本殿よりさらに登ったところに奥宮(おくみや)があり、不思議な生きものに守られて、たくさんの遺影が飾られた家康のお墓が建っていたと網代さんは語る。実際には生きものはおらず、遺影などあるはずもないが、雰囲気は似ている。
【裏日光POINT14 くつろぐ家康公】
猫たちに囲まれて、のんびりくつろぐ家康公。奇怪な生きものが跋扈(ばっこ)する正体不明の裏日光だったが、日光東照宮と同様、そこは平和な世界であることがわかる。それにしても家康がこれほど福耳だったとは知らなかった。
【裏日光POINT15 かなり惜しい眠り猫】
網代さんの記憶のなかでも眠り猫は鮮烈だったのか、かなり正確に描けたと本人は語っている。実際色合いなども本物に近く、変な生きものも登場していない。こうして幻想から現実に戻るように、絵巻は穏やかに終わる。
【あとがき】
長さにして4メートルほどもある長大な絵巻を、網代さんは4、5日かけて一気呵成に描きあげたという。それほどまでに小学生のときに見た日光東照宮は網代さんの心を打ったのだった。得体の知れない生きものがたくさん描かれた裏日光絵巻は、細部に目を凝らせば凝らすほど、いったい自分がどこにいるのかわからなくなってくるが、現実の日光東照宮も、繊細な彫刻に彩られ、解像度をあげてじっくり観察すればするほど濃密な世界に没入していくのは同じである。網代幸介と日光東照宮は出会うべくして出会ったのだ。
網代幸介さん(左)と宮田珠己さん(右)
あじろこうすけ 1980 年生まれ。30 歳を機に絵を描き始め、国内外で個展を開催。『てがみがきたな きしししし』(ミシマ社)など絵本も発表
みやたたまき 1964 年生まれ。旅エッセイを中心に執筆。右は、自身初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』(大福書林)の表紙
Photo/TAKANORI SASAKI Text/TAMAKI MIYATA
※メトロミニッツ2023年3月号特集「わたしが旅に出る理由」より転載