北群馬の食材を、それらがはぐくまれた水と、山の薪木による炎で作りあげるイタリア料理店「ヴェンティノーヴェ」。同じく土地の米と水、麹だけで醸される「土田酒造」の日本酒。つまり、すべてが風土の食卓。
関東ローカルの里山は
イタリア・トスカーナだった
たとえ遠くへ行かなくても、観光名所や大自然などなくても、心動かす食とお酒があれば旅になる。いや、私にとってそのセットはむしろ、なくてはならない旅の動機だ。
12月。群馬県は川場村という、予備知識ゼロの村へと向かったのも、そこにイタリア料理と日本酒が、「ヴェンティノーヴェ」と「土田酒造」があるからだった。
かつて東京・西荻窪で9年。トスカーナの精肉店でも修業したオーナーシェフ・竹内悠介さんの肉料理や手打ちパスタ、妻・舞さんのふわりと心和む接客で愛された「トラットリア29」が、建物解体のため2020年に閉店。
昨年10月、夫妻はシェフの故郷で、新たにB&B付きのリストランテ「ヴェンティノーヴェ」を建てたのだ。
そこが、日本酒蔵の敷地だった。地元の縁で出会った土地だと言うけれど、「土田酒造」と言えば全量純米、全量生酛(きもと)に振り切った酒造りで話題の蔵である。
シェフの料理は、川場村でどう変わったのだろう。「土田酒造」の日本酒がイタリア料理と出会ったら、どんな化学反応が起きるのか。上越新幹線に乗る理由は、これで十分。
東京駅から約1時間、小さなコーヒーを飲みきった頃に上毛高原駅へ着く。川場村はさらに車で30分。
目の前に見える谷川岳の向こう側はもう新潟で、連日大雪らしいけど、群馬側は拍子抜けするくらい暖かい。
「土田酒造」は仏閣にも似た造りの、大きな蔵だった。脇から伸びる遊歩道の緩いカーブをたどるうち、冬の澄んだ空気が胸に満ちていく。
高い空、やわらかなすすき野原。里山の風景の中、モダンな一軒家の「ヴェンティノーヴェ」は、薪の焼ける匂いを纏って佇んでいた。
薪ストーブの暖かなフロアで迎えてくれる竹内夫妻は、西荻窪時代と変わらぬ穏やかさ。変わったのは、それ以外のすべてだ。
テーブルから山の中腹へとつながるような、圧倒的な開放感。オープンキッチンのシェフは山の木が生む熱と炎で料理を作る。石の窯と、そして竈(かまど)である。
「今夜の食材はこんな感じです」
カウンターに並んだ食材を見て、一瞬、トスカーナかと思った。推定8キロをゆうに超えようかというビステッカ(骨付きのサーロイン)、大きなトピナンブール(菊芋)、ロマネスコやカーボロネロまである。
キャベツとネギと蒟蒻しか思い浮かばなかった私は、群馬に謝らなければならない。チーズも、パンやパスタに使う小麦粉まで地元でまかなえるとは。
イタリアのポルチーニだって羨ましくないほど、そこの山を歩けば香り立つ茸が採れるのだ。
ただしワインだけは群馬で見つからずイタリア産。だが、その代わり地元のシードルもあるし、なによりお隣「土田酒造」で造りたての日本酒がよりどりみどりなのである。
前菜のニューディは、ラビオリの中身に、深煎り落花生の香ばしさ、有機栽培ビーツの土っぽい香り、ケールの苦みが重なる1皿。
舞さんが合わせてくれたのは、キリリと冷えた「Tsuchida12」。なんというみずみずしい酸! ワインと同じ12度の軽さは体に楽ちん、それでいて生酛原酒ならではのコクも味わえるちょうどよさ。
野菜の個性的な味や香りが、いっそう生き生きと迫ってくる。地元産ターメリックを使った手打ちパスタ、キタッラのスパイシーな香りには3年熟成の「カン・ツチダ」。
50℃の燗は独特の熟成香を放ち、ターメリックの香りとおもしろいほど仲よくなった。ぬる燗になると、今度は丸いうまみがスパイスを包み込むようだ。
しかし肉料理にはどうだろう? ビステッカの赤城牛は、日本では珍しい一貫肥育。「ヴィンティノーヴェ」では食べたい分量を自己申告すると、シェフが塊肉から切り分け、薪火で焼きあげる。
育ちから料理まで手塩にかけられた赤身肉の、深い滋味よ。これはさすがに赤ワイン? と思いきや、米を90%も残した「シン・ツチダ」はそのうまみを存分に湛えた厚み、ふくよかな酸で肉を迎えたのだった。
合う、と言うより、呼応するような痛快さ。これまでの日本酒は、特有の糖度と高アルコールが、西洋の食中酒としてはハードルになっていた。
海外では食後酒だと誤解されることもあったほどだが、「土田酒造」の日本酒に、そのイメージは完全にない。
「杜氏と一緒に、料理とお酒の関係を作っていくことがここならできます。僕らにとっても刺激になる」
少量ずつ仕込み、さまざまな日本酒にチャレンジする酒蔵だから、仕込む酒も変われば、シェフの料理も、ペアリングも変化していくだろう。
さあ、動けないほど食べて飲んでも、ベッドは2階だ。ゴロンと寝転べば、冴え冴えと輝く星が見えるというおまけも付いてきた。
明日の朝食は軽めのお粥だそうだから、お昼は地元の蕎麦にしようか。いや、地粉のうどんもいいし、もつ煮込みも名物らしいぞ。などと帰り道のごはんを妄想しながら、おやすみなさい。
VENTINOVE
ヴェンティノーヴェ
TEL/非公開
住所/群馬県利根郡川場村谷地2593-1(土田酒造敷地内)
営業時間/15:00~19:00LO
定休日/月、火
コース11000円~、宿泊(夕・朝食付き)35000円~ 予約はHPより
【Column】VENTINOVEで飲み比べも!生酛造りの土田酒造
「土地」というアイデンティティを、多様に表現
蔵の一角に、「ぐんまの米」と書かれた米袋が積まれていた。地元の酒米ではなく飯米、ごはんのお米だ。特級や銘柄ではなく、自分たちの土地の米を、土地の水で醸す。米の個性を丸ごと受け入れる。自然の在るがままを表現する、というその思想は、ナチュラルワインにも通じる。
土田酒造は1907年創業。今年で116年を迎えた酒蔵だが、かつては日本の大多数の酒蔵と同じ、大量生産の日本酒だった。酒造りの変革を始めたのは、6代目の土田祐士さんが蔵元となった2007年からだ。ちょうど前年入社、2012年には27歳の若さで杜氏に就任した星野元希(げんき)さんとともに、自分たちがうまいと思う酒を目指した。
現在ではすべて純米、無添加。法律で認可されている乳酸までも加えないのは、決して当たり前のことじゃない。材料は米・米麹・水・酵母。古式の生酛造りでは、蔵に棲む酵母など菌や微生物の力で醸す。そのスペックを基本に、例えばタイ米由来の中長粒米を採用した酒、90%精白という“磨かない”玄い米を溶かしきる酒など、彼らはあらゆる挑戦を次々と仕掛けるのである。
「何度も失敗しますが、でも悪いことじゃない。失敗して初めて、理由や仕組みがちゃんと腹に落ちるから」今期から始まった挑戦は、木桶造り。吉野杉ではなく、やはり地元の杉で組んだ木桶だ。林業に力を注ぐ川場村の村長が、酒樽に適した杉材を探し出したという。新たな課題は、彼らにとって「楽しみ」らしい。
土田酒造
つちだしゅぞう
TEL.0278-52-3670
住所/群馬県利根郡川場村川場湯原2691
営業時間/10:00〜16:00(最終入館15:30)
定休日/木
蔵見学あり。併設のショップでは試飲、購入が可能。黒粕ソフトクリームも評判
PHOTO/SAORI KOJIMA Text/NAOKO IKAWA
※メトロミニッツ2023年2月号特集「SAKE STAY」より転載