同じに見えても、同じでも それは人によって違う たとえば、Tシャツ1枚だって
辻堂という町を象徴する海への道
サーファー通りの服屋さん
オアフ島のノースショアにハレイワというサーフタウンがあって、僕はその町が好きなのですが、辻堂という町はちょっとハレイワみたいだなと思います。ハレイワは田舎町で人々はみんな水着で町を歩いています。
夏が来ると辻堂でも似たような光景が見られます。とくに「サーファー通り」と呼ばれる海までの一本道では、自転車にボードキャリアをつけたサーファーが上半身裸のままコンビニに入っていきます。これが三軒茶屋や西荻窪だったら変質者扱いですが、夏の太陽がジリジリ照り付けるサーファー通りでは、それは夏の風物詩です。
サーファー通りの入口にある「Be」という洋服屋に、僕は通っています。セレクトされた洋服と古着が混在していて、2人の店主のセレクトがちょうどよくいいセンス。僕はこのお店に行くたびになにか買っていますが、なかでも買い足していアイテムが「ロサンゼルスアパレル」の無地のTシャツです。僕は毎日Tシャツを着て過ごしていますが、なんでもいいというわけにはいきません。丈やサイズ、素材やシルエット・・・Tシャツというのはシンプルだけに難しいアイテムです。人と会うことも少なくないので、ダラっとした印象もNG。今までにもいくつか自分の定番はありましたが、今はこのTシャツがしっくりきています。
白と黒のTシャツを買い足しながら、ときどき別のカラーを選び、店主とおしゃべりをして店を出る。まだ夏の午後の太陽は高くて、うだるような暑さの一本道を海まで歩くのも、夏にしかできないこと。悪くないものです。日が暮れるころにビールを飲んで、お腹が減ったら近くのピ屋で本を読みながらトマトのピザを食べる。
ネットでもそのTシャツは買えますが、こうしてお店まで足を運ぶことで、会話があり、ひらめきがあり、午後のそぞろ歩きが始まったりする。
たぶん僕らは「目的」に最短距離であることにこだわりすぎて、その目的のまわりにある「偶発的なもの」をずいぶん見落としているように思います。同じ商品でも、クリックして翌日に届いた段ボールから開けるものと、会話や、なにげない風景や、出会いの中にある小さな宝ものみたいな気持ちのなかで、知っている人から買ったTシャツは、袖を通すときの心持ちが違う。
僕は今日もBeで買った白いTシャツを着ています。もはやユニフォームみたいなものです。どこでも買えて、誰でも買える、僕だけのユニフォーム。自分という物語を書いていけるのは自分だけだから、誰に大袈裟と言われようとも、僕は僕自身の選ぶものや着るものに対して、いつも敏感でいたいなと思います。
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2022年8月号より転載