トレンドと一線を画し、ビールの多様性を体現するブルワーがいます。醸造のベースは、環境と共存し菌と対峙する生き方。言うなれば“自然派”なそのビールの故郷、緑豊かな岡山県を訪ねます。
神秘の力に“委ねて”造る、ローカルでスローなビール
穏やかな口当たりと、酸や渋みが重なる複雑味。ホップの香りや苦みはどこまでも控えめ。
「ヘイジーが好き? まあまあ、ちょっとこれでも飲んで、ゆっくりしていって」。なんだかそんな風に諭されているような不思議な味わい。それが「コチブルワリー」妹尾悠平さんの造るビールです。
元々地元のお母さんたちが働く味噌工場だったという飾りっ気のない醸造所には、看板はおろか大型の醸造タンクも、ピカピカの充填機もありません。
代わりに並ぶのは、寸胴鍋やアメリカから取り寄せたホームブリュー用タンク。醸造所というより大きなキッチンのようなこの場所で、妹尾さんは1人黙々とビール造りと向き合います。
妹尾さんのビールキャリアのスタートは、さかのぼること10年以上前。広島大学の大学院で発酵学を学び、日本酒蔵に就職したものの、意に反しビール担当となったことが始まりでした。転機は、研修先のベルギーでの出来事。
「納屋のような、クリーンとはほど遠い環境の醸造所で造られる自然発酵のビールが本当においしかったんです。それまで会社でやっていたのは、殺菌・滅菌が日常の、安定した大量生産のための方法でした。ベルギーには、その時期の旬の果物を使ったフルーツエールもたくさんあって、ビールが生活に根ざしている。本来ビールってこういうものなんじゃないかと思いました」。
人間本位の醸造ではなく、菌や環境に寄り添う醸造を目指した妹尾さん。4年働いた酒蔵を退職後に資金を貯め、2018年に「コチブルワリー」を設立します。
ビール造りでは、メーカーで純粋培養された酵母を購入して使うのが一般的。ビアスタイルに合わせ、さまざまな酵母が販売されています。
一方で妹尾さんが使うのは、醸造所の前にある桜林の空気中から採取した自然酵母。毎回どんな菌がやってくるのかは、まさに神のみぞ知る。
「ボタンを押してプログラミングできるものとは違う、人知が及ばない力が入るのがおもしろい」。
菌本位の醸造に求められるのは忍耐力。煮沸後の麦汁は、機械で急冷せず、常温に放置して1晩かけて冷まします。
発酵も、菌が動き出すまでとにかく待つ、待つ。エアコンのない作業場ゆえ、夏場3週間で終わる発酵が冬場は8週間かかることも。
必要以上の滅菌を避けるため、機材や工房内の洗浄は洗剤を使わず熱湯で行います。
さらには原料もザ・シンプル。モルトは有機栽培のドイツ産1種のみ。
その他、瀬戸内市産無農薬栽培の小麦や柑橘の皮、ハーブなど、メインで使う材料は数えるほどしかありません。
「ホップの使用量も本当に少し。色々な風味を重ねて造るビールも人気ですが、僕はそういう『味付け』に興味がなくて。有機の国産品が少ないモルトやホップは外国産を使っていますが、いつか国産に切り替えられたら。もっと余裕ができたら、造る種類を増やすより、自分で原料生産に取り組みたいんです」
昔から地域色豊かな味噌や醤油、納豆が造られてきたように、発酵食品としてのビールを追求する妹尾さん。
効率を捨てて得たのは、発酵という神秘の力がもたらす奥深い味わいでした。ナチュラルワインにも似た、しみじみとした滋味。
初めて飲む人は「これがビール?」と思うかも。でも、これもビール。自由で多様性に満ちた世界の入り口を、そっと開いてくれる存在です。
PHOTO/SAORI KOJIMA WRITING/RIE KARASAWA
※メトロミニッツ2022年7月号特集「日常を豊かにするクラフトビール」より転載