日本のどこか
それほど遠くない過去に ほんとうにあったこと その残存記憶を探して
日本の各地に今も静かに眠る、隠れキリシタンたちの思いを訪ね
率先して話すようなことでもないのでこれまで語ることはありませんでしたが、僕はライフワークとして続けていることがあります。それはかつてキリスト教禁教時代に信仰を棄てなかった「隠れキリシタン」と呼ばれる人たちが暮らしていた集落を訪ねることです。
「沈黙」に代表される遠藤周作さんの作品を読み漁り、歴史上のキリシタン弾圧の話に興味を持ちました。そして、のめり込んだきっかけは15 年ほど前に大阪の千提寺という集落を訪ねたことでした。そこは大正時代に宣教師「フランシスコ・ザビエル像」(教科書で見ましたね)が発見された場所で、それはとある民家の東屋の梁に括りつけられていた「あけずの櫃」の中から見つかりました。僕はいつかそこを訪ねて、棄教を拒んだ人たちのことを知りたいと思っていたのです。
金曜夜の東京発の深夜バスからJRと路線バスを乗り継いでその山間の集落に着いたのは、昼の12 時近くでした。JR茨木駅で満席だったバスも僕が降りる頃には誰もいなくなり、運転手さえも「ここで降りるの?」という一瞥を僕に向けました。山深い集落を進むと、そこに小さな「資料館」がありました。
禁教時代の日本でキリスト教を信じることは、自身はおろか一族の命のリスクを背負うことと同義であり、そのためほとんどの貴重な資料が歴史の中に消えていきました。それは神であると同時に、命を脅かす「危険なもの」でもあったのです。千提寺の「あけずの櫃」は、さまざまな幸運が重なり(開けずであったことが最大の幸運だった)、現代に往時の集落の日常を伝えてくれる貴重な資料となりました。
禁教が明け、宣教師が日本で再び布教活動を行ったとき、隠れキリシタンたちが護ってきた信仰は土着性を帯び、宣教師たちも困惑するような変化をしていたものも多かったといいます。
それでも、人々は信仰に生き、そして死んでいった。その心の底を僕は知りたい。人類が起こしてきた戦争の原因の多くも、宗教の対立であり民族紛争です。僕はその、人の「信仰」という感情に、興味があるのだと思います。
キリスト教は、当時日本中に広まったと言われています。そして今でも日本全国に、隠れキリシタンの里が数多く存在しています。ただ、それらは前述の理由により、ほとんど「調べる」ことができません。しかしそれは、そのそれぞれ集落に、今でもひっそりと静かに残されています。小さな手がかりだったり、時に人の残存記憶として。
この「検索の時代」において分からないものが残されていることは豊かなことだし、僕はそういうものに、たぶん憧れているのだと思います。
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2022年6月号より転載