日本のどこか
旅先のふらっと入った店で スニーカーやレコードを買う 日本地図が宝の地図になる
18歳から同じことをしている、それでも変わらないワクワクがある
旅先の町で探してしまうものが3つあります。古着屋さん、中古レコード屋さん、古本屋さん。「そんなものはどこにでもあるじゃないか?」と言われますが、それは便宜上同じ名前で呼ばれているだけで、同じ店は2つと存在しないのがお店巡りの魅力です。
話は90年代にさかのぼります。僕はアルバイトで貯めたお金を、ほぼスニーカーとレコードと本に使っていました。なかでもいちばんハマっていたのがスニーカー集めです。
古着屋はもちろん、スポーツショップなどでは、店主と話しているうちに「古いスニーカー? 倉庫にもあるから見るかい?」と店の倉庫に案内され、今では高額で取引されているアメリカ製のコンバースや、80年代のナイキなんかの箱が埃をかぶっている夢のような景色に出会うことがありました。
当時はインターネットなんてなかったから、買い物というのは極論すれば今とは別の行為でした。そこに確かにあったのは「なにがあるかわからない」ワクワク感。僕はバイトの給料が入ると電車で地方都市へ出かけていき、そこでスニーカーを探して歩きました。水戸、土浦、町田、木更津…どんな町にも必ず古着屋とレコード屋と古本屋があって、知らない駅前に立って歩き出す瞬間に「今日はどんな日だろう?」と考えるあの時間が、僕は好きでした。
そうして戦利品を抱えて町の定食屋や喫茶店に入り、地元の人に交じってご飯を食べながら、町を行く人を眺める時間も楽しみのひとつでした。僕はこの町に偶然やってきて、また自分の町に帰っていく。どの町でも、そこで繰り返されている暮らしが確かにある。
僕はいまでもあのころと同じ気持ちで、知らない町の駅前に立っています。どれだけ情報が手に入るようになっても、答えまでの道のりが短縮されようとも、そこに「なにがあるかわからない」ということは、今でも僕をワクワクさせてくれる。そう考えると、便利や効率を追求する中で僕たちが落としてきてしまった気持ちを、旅は、思い出させてくれる。
観光地だって同じです。それは「場所」ではなく「目線」なのだと思います。場所がどこであろうと、僕たちがなにを求め、なにを「見ようとする」のか? その旅の姿勢ひとつで、目に映る町の景色はがらっと変わります。
たぶん僕は10年先も、日本のどこかの町で同じようなことをしていると思います。そしてどこかの町のどこかの喫茶店で、ずっと探していたスニーカーやレコードを携え、18歳の頃と同じようにニヤニヤしているのだと思います。
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2022年4月号より転載