約500軒の銭湯が残る、日本一の銭湯オアシス・東京。湯気の向こうは摩訶不思議なアートの世界でした・・・。東京で銭湯愛に目覚めたという、銭湯大使のステファニー・コロインさんと、銭湯ペンキ絵師の田中みずきさんに銭湯とアートの魅力を聞きました。
大学時代に初めて出会ってから、人生が銭湯一色になりました
日本が誇る文化の1つ、銭湯。江戸時代に発達し、憩いの場として独特なカルチャーを育んできました。銭湯大使のステファニー・コロインさんと、銭湯ペンキ絵師の田中みずきさんが、銭湯の魅力に引き込まれたのは、今から10年以上も前のこと。
「美術史を学んでいた大学時代、銭湯をテーマにしたアート作品が気になっていました。作品をもっと理解したくて、初めて銭湯に行ってみたんです。それで湯船に浸かると、壁のペンキ絵に描かれた雲に湯気が重なり、お湯の中で自分の体がゆらゆら揺れていて。なんて言うか、自分が絵の中に入っているような不思議な感覚で。こんなにおもしろい空間があるんだって気付き、銭湯に惹かれていきました」(田中さん)
「私の銭湯との出会いも、日本に留学をしていた大学時代。豊島区の銭湯でした。フランスには銭湯文化がないので最初は少し恥ずかしかったですが、元々お風呂が大好きということもあって、それにもすぐに慣れて。開放的で心地よくて、体の芯から温まる。当時、そんなに日本語を話せなかったけど、常連のお客さんが話しかけてくれたりして。これをきっかけに、銭湯に開眼しました」(ステファニーさん)
日本の心も店主の個性も描かれた唯一無二のペンキ絵に惹かれて
その後、フランスに帰国したステファニーさんは仕事で再度来日。銭湯がありきで、日本に住むことを決意します。一方、田中さんは銭湯のペンキ絵を描く絵師をめざすべく、中島盛夫さんに弟子入りすることに。
(田中さん)「銭湯のペンキ絵をテーマにした卒論を書くために、湯船に浸かってペンキ絵を観察していると、絵師によって色調や筆の動かし方など個性がさまざまで、めちゃくちゃおもしろいなって。だけど、湯船でこんなにまじまじとペンキ絵を見ているのは自分だけで、ほかのお客さんはペンキ絵に目もくれていないんですよ。そうした背景画としての役割を果たしているのも、とても興味深くて」
(ステファニーさん)「そうそう。私もペンキ絵が大好きですけど、絵をうっとり眺めているのは自分1人だったりする(笑)」
(田中さん)「銭湯あるあるですよね(笑)。でもお客さんは昔の絵をよく覚えていたりして。それと当時、ペンキ絵を描く現場にも同行させていただいたのですが、絵師が減少し、高齢化が進んでいることに直面したんです。こんなに素晴らしいペンキ絵が100年後はなくなってしまうかもしれない。そう思って絵師を志すことにました。ところで、ステファニーさんは、ペンキ絵のどんなところがお好きですか?」
(ステファニーさん)「地域ごとに表れる作品性に惹かれています。鹿児島だったら桜島が描かれていたり、その土地の憧れや誇りが表現されていて、旅先でも銭湯を通じてさらに旅ができちゃう。あ、もちろん、みずき(田中)さんのペンキ絵の大ファンです! 構図も色味も素敵で」
(田中さん)「嬉しいです(笑)。ペンキ絵は東京がメインですが各地にもありますね。ちなみに構図に関しては「奥行きを大切に」と師匠からよく言われました。手前に海、その向こうに島、いちばん奥に富士山というように視線を誘導し、銭湯の空間を奥深く広く感じさせるようにしています」
(ステファニーさん)「みずきさんのペンキ絵って、小さなモチーフまで描かれていてかわいいんですよね。江戸川区の「第二寿湯」(メイン画像)では、区の銭湯のキャラクター“お湯の富士”が描かれていたりして」
(田中さん)「最近では地域ごとに銭湯のキャラクターが生まれているんですよね。それをペンキ絵に描いてほしいという依頼も増えたように思います。
(ステファニーさん)「さらにみずきさんのペンキ絵をよくよく見ると、銭湯のご主人の好きなものがけっこう描かれていますよね。特に横浜の「黄金湯(こがねゆ)」は印象的です。なぜか大阪城が描かれていて、おもしろくて大好き!」
(田中さん)「ペンキ絵を描く際、事前にご主人と打ち合わせするようにしているんです。それこそ、「黄金湯」はご主人が「大阪城をぜひ」とおっしゃっていたので描きました。大阪出身でもなくて、どうしてそんなに大阪城が好きなのかは謎ですが(笑)。ほかの銭湯でも、女将さんと話して船が好きだと聞いたら、小さなモチーフとして船を描いてみたり。ペンキ絵から店主たちの個性が垣間見られるのもおもしろいですよね」
今、昔ながらの光景が人生を明るく照らしてくれる
2人の心を奪って離さない銭湯のペンキ絵。なかでもよく目にするのが、“銭湯富士”と呼ばれる富士山の絵です。どうして富士山が多く描かれているのでしょうか。
(田中さん)「かつてペンキ絵って、広告と密接な関係があって。昭和期までは理髪店や病院などが、ペンキ絵の下に小さな広告を出し、その広告費で絵師がペンキ絵を描くといった仕組みでした。その中でモチーフとして富士山が定着し、ペンキ絵に描かれるようになったとされています。だけど実は、銭湯富士が描かれているのは関東圏中心。富士山を望めるという立地の関係や、江戸時代に富士山を疑似体験できる見世物が関東圏で流行したことも理由とされています」
(ステファニーさん)「銭湯富士って本当にきれいですよね。みずきさんが描く銭湯富士は、黄色やオレンジ色の色味が美しくて、何度見ても惚れ惚れしてしまいます」
(田中さん)私が描く黄色やオレンジ色の銭湯富士は、縁起がいいとされている明け方をイメージしていて。銭湯のご主人から大きい富士山をオーダーされることが多いので、広々と伸びやかに描くようにしています。
ステファニーさんと田中さんによる、尽きることのない銭湯談義。日常に銭湯があることで、たくさんのものを享受できるとも。
(ステファニーさん)「東京の銭湯は70%以上が井戸水。天然温泉の銭湯もあるし、コーヒー1杯程度の料金なのに美と健康にもよくて、アートで異世界にも連れて行ってもらえる。銭湯にはメリットしかないんですよね。私は銭湯の番頭をしていたこともあるんですが、そこでは見ず知らずの人が挨拶を交わしたり、近所の人が談笑したりするのが日常的でした。こうした光景が街の中にあるだけでも、自分の生活がパッと明るくなる気がします」
(田中さん)「家で1人で過ごした日、仕事で辛いことがあった日、銭湯に立ち寄ってみると、常連さんたちの話し声が心地よかったり、帰り際におばあちゃんに「おやすみ」と声をかけてもらったり。お風呂という極めてプライベートな空間だからなのか、そういう家族のような温かさがあるんですよね。一昔前は古臭いなんて言われましたが、今はそういった人と人とのつながりが必要とされるから、新しいライフスタイルのひとつとして定着しつつあるのかもしれません」
かつては街のあちこちにあった銭湯。現在、その数は減ったとは言え、銭湯のある景色はこの先もずっと残っていくに違いありません。
お話を聞いた方々
■ステファニー・コロインさん
銭湯大使。南フランス・プロバンス地方出身。銭湯ジャーナリスト。Instagram(@_stephaniemelanie_) などのSNS を中心に、各種メディアで銭湯の情報を世界中に発信中。訪れた銭湯は全国で1000軒以上
■田中みずきさん
銭湯ペンキ絵師。大阪府出身。都内大学在学中に銭湯ペンキ絵師・中島盛夫氏に弟子入り。大学院修了後、会社勤務を経て2013年に独立。イベントなどで、ペンキ絵を通して銭湯の魅力を伝える活動も行う
銭湯のアートはこうして作られる!銭湯富士ができるまで@三筋湯/台東区
STEP1.道具を準備
ペンキは油性の外壁用のものを使い、黄・赤・青と白を調合
STEP2.足場を組む
湯船に足場を組み、ペンキ絵の作業に取り掛かる。はしごをかけ、まずは元のペンキ絵を削り取る
STEP3.富士を描く
ペンキ絵は天井から床に向けて描くのが基本。空の色から塗っていき、ローラーや刷毛で富士山を描く
STEP4.完成!
空や雲、富士山など前景や遠景のバランスを見ながら調整を加えて、ついに完成
PHOTO/SAORI KOJIMA WRITING/MAKI FUNABASHI
※メトロミニッツ2022年4月号特集「ニッポンカルチャー見聞録」より転載