町をひとつの宿とみたてて、町とつながる宿泊施設が「まちやど」です。今回は、石川県の金沢駅より車で40分程度の富山県南砺市へ。ものづくりの伝統が息づく南砺市の井波のまちやど「Bed and Craft」を入口に町で暮らしてみると、いつもの旅とは違う出会いがいっぱいの思い出深い滞在に。
木彫刻師の比率日本一。北陸が誇る手仕事の町「井波」へ
宿を入口に町をめぐり
井波のものづくりに親しむ
木造建築が連なる石畳の通りに、カンカンカンと乾いた音が響き渡ります。ガラス戸の向こうには、ノミを振るう木彫刻師の姿。通りを見渡せば、あちこちに木彫刻を施した看板や表札、標識が飾られ、町の暮らしに木彫りが根差していることがわかります。八乙女山の山麓に位置するここ富山県南砺市井波は、江戸時代からの伝統を引き継ぐ木彫りの町。人口8000人のうち、なんと200人が木彫刻師というから驚きです。
井波に木彫刻が根付いたきっかけは、町のシンボルでもある真宗大谷派の古刹・瑞泉寺の再建でした。江戸時代の大火で本堂が焼け落ち、その再建のために京都からやって来た彫刻師によって、彫刻の技術が伝えられたのです。それから250年経った今も、町には100軒ほどの工房が点在し、多くの職人が伝統の技を守っています。
この町に6年前、1軒のまちやどが誕生しました。「Bed and Craft」と名付けられたその宿のテーマは文字通り「Craft」、すなわちこの町に息づくものづくりです。町に点在する6つの宿泊棟はすべて1棟貸し切り。内装はそれぞれ井波で活躍する木彫り・漆芸・陶芸・作庭などの作家が手がけており、彼らの作品に囲まれた空間で、この町のものづくりを身近に感じることができます。
また「地域全体がひとつの宿」という考えのもと、スタッフが“まちのコンシェルジュ”として、近隣の工房や名所旧跡など木彫りに親しめるスポットを案内。宿を拠点に町をめぐるうちに、井波彫刻の職人はもちろんのこと、地域とも自然につながることができるのです。
そして最もユニークなのが、井波で活躍する職人に〝弟子入り〟できること。たっぷり3時間、井波のものづくりについて学びながら、木彫りのスプーンや豆皿、漆の箸などを制作することができます。今回は木彫刻家の田中孝明さんに弟子入り。町中にある工房を訪ねると、エプロン姿の田中さんがにこやかな笑顔で迎えてくれました。
雛人形や五月人形といった節句人形のほか、独自の世界観が広がるコンセプチュアルな人形彫刻の制作で知られる田中さん。工房内や、「Bed and Craft」で内装を担当する「TATEGU-YA」には、田中さんの人柄をそのまま映したような優しい表情の彫刻作品が飾られています。
「井波彫刻はやすりを使わず、彫刻刀とノミだけで仕上げるのが大きな特徴です」と田中さん。「今日は桜の木でスプーンを作ってみましょう。桜は硬く、彫るのが大変ですが、その分いい道具ができあがりますよ」
学生時代以来、数十年ぶりに握る彫刻刀に初めは戸惑ったものの、手取り足取りの丁寧なレクチャーのおかげで少しずつコツがつかめるように。すると俄然楽しくなってきて、気付けば無言で作業に没頭していました。削って削って、削ること3時間。ようやく完成したマイスプーンの、なんと愛おしいことか。
田中さん曰く、こうして自分で手を動かす経験を経ることで、次第に手仕事を見る目が変わってくるとのこと。体験後、あらためて周囲を見渡してみると、町に点在する木彫りの繊細さや美しさがより際立って見えます。ものづくりに触れる意義とは、このように世界の見え方が広がることなのかもしれません。
職人と協働で作りあげた
手仕事の粋を味わう空間
井波彫刻の魅力について、「職人の立場から言うと、使い手の顔がよく見えることでしょうか」と教えてくれた田中さん。実は井波彫刻には問屋がなく、職人とお客さんが一対一でやりとりをし、木彫りの受注生産を行なっています。作り手の顔が見えない大量生産のモノにあふれた現代の暮らしにおいて、こうした家ごとに〝お抱え職人〟がいる文化が今も息づいていること自体、極めて稀。
「Bed and Craft」のプロデューサーで、建築家の山川智嗣さんもまた、井波での滞在を通じてその豊かさを感じてほしいと話します。
「僕は上海の設計事務所で長く働いていたのですが、現地の建築現場は日本より未成熟なこともあり、多くの部分を昔ながらの手仕事が支えていました。一方、帰国後に暮らした東京では、既存のサンプルから選んで組み合わせるような建築方法が中心。無味乾燥とした現場を目の当たりにして寂しい気持ちになっていたときに、地元・富山県に職人と一対一で向き合える町があったことを思い出したんです。久しぶりに訪れた井波では、職人たちがごく当たり前にものづくりをしていました。海外に住んでいる友人を案内したところ、彼らもそうした光景に感動し、とても喜んでくれる。だったら、この町の文化をより多くの人に感じてもらえる仕組みを作りたいと、ものづくりを宿のテーマに据えたんです」
「Bed and Craft」の暖簾を掲げる6つの宿泊棟はギャラリーの機能も備えており、作家にとっては自身の世界観を表現する場にもなっています。例えば今回滞在した「KIN-NAKA」は、かつて料亭だった建物を木彫家の前川大地さんとともにリノベーションしたもの。空間づくりにおいては、設計段階から前川さんの意見を取り入れているそうです。
2階へと続く階段の踊り場を見て、思わずため息が出ました。立山連峰と日本海をイメージした青い空間に、曇天の空から差し込む一筋の陽光をイメージした木彫りのシャンデリア(P11)。富山の自然をここまで大胆に美しく表現できる木彫刻の奥深さに、一気に引き込まれました。室内に飾られた木彫作品の一部は購入も可能とのこと。いつもの日常に戻っても、暮らしのどこかで井波のエッセンスを感じられるのは嬉しいものです。
「近年は欄間や床の間のある伝統的な日本家屋は少なくなっているので、代わりに現代のライフスタイルに合った新しい木彫刻のあり方を提案できたらと思っています。宿泊した方が木彫刻や作家のファンとなることで、地域の伝統工芸が活性化し、継続していく。私たちがやっているのは、そのための仕組み作りだと思っています」
3年前には、ゲストが町とつながり、町の魅力を知るきっかけとして、宿から徒歩圏内に木くずを使った燻製料理が味わえるカフェバー「nomi」と、職人の手仕事雑貨を揃えたショップギャラリー「季の実」をオープン。なかでも「nomi」は、地元の職人たちが夜な夜な集い、ものづくり談義に花を咲かせるお店として、地域のハブ的な存在に成長しています。
「まちやどを中心に、この町のものづくりの価値を高める活動を地道に積み上げてきたことで、町そのものが少しずつ活気づいてきたのを感じます。実は少し前に、近所のお母さんが新しく喫茶店を始めたんですよ。お店を開くって、町に将来性を感じていないとできないじゃないですか。地元資本のお店が町にできたのは久しぶりのことだったので、本当に嬉しかったですね」
本業の一方で、井波の移住促進事業にも携わる山川さん。今年の夏には移住者たちとタッグを組み、コーヒーロースターとクラフトビールのブルワリーをオープンする予定だとか。受け継がれてきた伝統を守りながら、次の時代へとつなげていく。「Bed and Craft」を中心に進化を続ける井波の日常から目が離せません。
井波のまちやど「Bed and Craft」
日本有数の木彫りの町・富山県南砺市井波にある、職人に弟子入りできる宿。町に分散する6つの宿泊棟は木彫り、漆芸、陶芸などの作家のギャラリーを兼ね、手仕事の美を間近に感じることができる。
DATA
TEL.0763-77-4138
住所/富山県南砺市本町3-41
料金/1泊1棟貸し切り KIN-NAKA、taë ともに1名19000 円~ (平日1 室2名利用の場合/朝食付き)
●東京からのアクセス/東京駅より金沢駅まで150分、加越能バスに乗り換えて約75分、BnCラウンジまで徒歩5分
PHOTO/MASAHIRO SHIMAZAKI WRITING/NAOKO OGAWA
※メトロミニッツ2022年3月号特集「まちやどステイケーション」より転載