pesceco、長崎県、島原市

長崎・島原のレストランで海を味わう/新・日本さかな風土記

更新日:2021/12/20

有明海を望むレストランpesceco〈ペシコ〉は、これからの魚食の可能性を感じさせる場所です。豊穣の海と、その海に生きる人々の知恵が融合した、ここにしかない豊かな食文化と出会う旅へ。

pesceco、長崎県、島原市
湧水のまち・島原のシンボル、眉山(まゆやま)を望む穏やかな内海の湾。海と山が近い地形が豊かな水の循環を生む。pescecoとひと続きの、有明海の海岸線に位置する島原の漁港にて

記憶に残る郷土の食文化を
現代へとアップデート

有明海に突き出した勾玉のような形の島原半島。その東岸に独創的な魚料理がいただけるレストランがあると聞いて訪ねました。近年、わざわざ遠征してでも訪れたい店として高い評価を得ているpesceco(ペシコ) は、対岸に熊本、福岡を望む海岸沿いにあり、空に溶け込むブルーグレーの建物に小さな看板だけが目印のシンプルな店構え。

pesceco、長崎県、島原市
pesceco の「里浜ガストロノミーコース」のアミューズ3種。手前から、エタリの塩辛バターと薩摩芋のタルトレット、ムラサキウニのパイ、車海老のコリアンダーソース

12~14皿で構成されるpesceco の「里浜ガストロノミーコース」は、有明海の旬の魚が主役。最初の一皿は、目の前の海岸をテーブルにのせたかのような見立てのプレゼンテーションで始まります。砂浜を閉じ込めた標本箱にも似た木枠のガラスの蓋に置かれているのは「エタリの塩辛バターと薩摩芋のタルトレット」。

エタリとは土地の方言で片口イワシのこと。新鮮なイワシを樽で塩漬けにし藁を被せて発酵熟成させた塩辛は、昔はこの地域のどの家庭にもあった常備食で、ふかしたサツマイモに載せておやつとして食べていたそうです。人々の記憶に残る食の風景から生まれた一皿は、フレッシュなバターの風味と滑らかな口溶け、サツマイモの自然な甘さに塩辛が絶妙のアクセントになって、どこか懐かしいのに新しい味。

「浜辺の散歩」と名付けられたこのアミューズを、「自己紹介のようなものです」とオーナーシェフの井上稔浩(いのうえたかひろ)さん。凪の海を思わせる穏やかな笑顔が印象的です。島原で生まれ育ち、実家は鮮魚店という井上シェフ。「里浜ガストロノミーコース」には、海と山がつながる故郷の豊かな自然とそこに暮らす人々の営みや文化を、料理を通して伝えたいという願いが込められていました。

pesceco、長崎県、島原市
2種類のごま油と魚醤で和えたそぎ切りのカワハギ、米のサラダを、2時間煮出した昆布水のエスプーマがふんわりと包み込む「波紋のように」。オイルのこくと香り、昆布の旨みが絶妙なバランス

志ある生産者とつながり
限られた資源を創造していく

井上シェフが現在の境地にたどり着くまでには、いくつかの岐路があったそう。故郷で父と始めた最初の店では、田舎では珍しい料理をと食材を各地から取り寄せていました。その後、独立して市内の商店街にイタリア料理店をオープン。「その頃はお客様も少なくて。お店を維持していくことへの不安と、膨らんでいく自分の理想との狭間で、押し潰されそうになることもありました」

pesceco、長崎県、島原市
エントランスの前に立つ井上稔浩シェフ。ジャンルにこだわることなく「この土地でとれた食材を、この土地に根差した想像力を働かせて調えた味を楽しんでもらえたら」と微笑む

料理人としてどうあるべきか、どうありたいか。模索の日々を経て、2018年に現在の場所に店を移転。1日に限られた数のゲストだけをもてなすスタイルに変えて再出発します。求められて作る料理ではなく自分が作るべき料理を。地元にない珍しい食材ではなく地元の魅力を伝える食材を。それは、食べることの意義や自らの役割を捉え直し、「ガストロノミー」という精神的なジャンルへと舵を切る大きな決断でした。

pesceco、長崎県、島原市
砂地の島原湾で育つワタリガニを余すところなく味わう「多比良ガネ/手延素麺」。トッピングされたシソの種の塩漬けが爽やかなアクセントに

料理を決めるのは、その日の食材を見てから。自然にならって、無理をしないから、コースの内容も皿数も日によって変動します。

「多比良(たいら)ガネ/手延素麺」は、島原湾で獲れるワタリガニ(=多比良ガネ)と島原特産の手延べ素麺を組み合わせた、里浜を象徴するような一皿。

「最初の頃は素麺ではなくパスタを使っていましたが、島原の湧き水で茹でるなら地元の素麺が理にかなっていると気付いたんです」
熟成を重ねて作られる伝統の手延べ素麺には独特のコシがあり、パスタにも引けを取らない食感と風味。殻からとった出汁とカニミソを合わせた濃厚なソースが素麺に絡み、しっとり甘いカニの身を崩しながらいただくと、芳醇なうまみが口の中いっぱいにほどけていくよう。

pesceco、長崎県、島原市
長崎白菜で巻いたクエを無花果の葉で包んでセイロ蒸しにした「菜園のなかで」はどこかオリエンタルな香り。白身魚の豊かな甘みを引き立てるのは、柑橘が香る玉ねぎ麹のソース 

メニューカードに添えられたリーフレットには、コースに使われる食材の生産者がクレジットされていました。百姓、漁師、魚屋、酪農家、塩、茶、自然。それらはすべて、井上シェフが自らの料理への思いを形にするための、かけがえのないもの。

「目利きが選んだ魚やこだわりのある生産者の食材を、おいしさを作り出すプロの技術を通して人々に届けるのが、料理人としての責任だと思っています。食に真摯に向き合う生産者とつながり、互いの価値を高め合う、そんないい循環を作っていければ」と井上シェフ。その言葉に、食の楽しみを未来へとつなげていく可能性が見えたような気がしました。

pesceco〈ペシコ〉

TEL.0957-73-9014 
住所/長崎県島原市新馬場町223-1 
営業時間/昼:12 時の部(火・水・木・金) 夜:19 時の部(土のみ) 
※完全予約制、昼・夜ともに上限3 組 
定休日/日・月定休
里浜ガストロノミーコース/17,600 円(税込・サ別、内容により変動あり)

PHOTO/MIHO NORO WRITING/YUMI MIYASHITA
※メトロミニッツ2022年1月号特集「新・日本さかな風土記」より転載

※記事は2021年12月20日(月)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります