東京のどこか
外でお酒を飲むことや、大切な人との食事の時間も僕たちの人生には必要だ
塗り替わった生活様式の中で
もういちど冷静に考えたいこと
約2年にわたる長いコロナ禍の中で、日々の暮らしにおけるたくさんの価値観が塗り替わりました。僕たちはもはや、前とは違う世界に住んでいると言っても過言ではありません。テレワーク、時差通勤、オンライン会議・・・。それらの「新しかったこと」が普通のことになるまでに、そんなに多くの時間がかからなかった。それが多くの人の感覚ではないでしょうか?
その変わったことのひとつに「外で飲む」スタイルの変化が挙げられると思います。密を避ける、大きな声でしゃべらない、いつの日からか、会食や外食は少しネガティブな行為になっていました。無駄な飲み会に行かなくてよかったという声も、少なくない意見として聞こえてきたのも事実です。
書き換えられた世界のルールを要約すると「対面じゃなくてもできることの顕在化」という言葉が当てはまりそうです。確かに対面じゃなくても事足りることは、思った以上に多かった。
でも、その日々の中で、やっぱり「会って話したい」という気持ちの置き場所が見つからず、僕たちの心は知らない間に少し固くなり、乾いていってしまったように思います。これは対面、これはオンライン…そんな白か黒かの二元論じゃなくて「ねえ、ちょっと飲みながら話そうよ」、みたいな小さなコミュニケーションの集積が、この町の夜空を明るく染めていた。灯りの消えた東京の夜の街を見ながら、僕はそう感じていました。ビールを飲んで、ただただくだらないことで馬鹿笑いしたり、大切な人とのんびりワインを飲んで酔っ払ったり、そういう「お酒が創ってくれる時間」というものが確かにあって、また明日も頑張ろうって思えていたのだということを、僕は身をもって知ったのだと思います。
久しぶりに外でお酒を飲んで21 時の町に出ると、銀座の町が明るく見えました。お店に明かりが灯り、みんな笑ってお酒を飲んでいる。それを見て思いました。「人生には、飲食店がいる」みんなと別れて、足は自然と地下のバーに向かっていました。以前はよくひとりでクールダウンしていた行きつけのお店。2年の時の重さを感じさせるような暗い地下のドアを開けると、変わらないマスターの姿があって、僕は少し泣きそうになってしまいました。
トム・ウェイツの音楽、お酒を作る所作、暗い店内にきらりと光る、マスターが丁寧に削るグレープフルーツムーンみたいな丸い氷。ウイスキーをひと口飲んで、ひとり静かにさっきまで一緒にいた大切な人の顔を思い浮かべながら、僕は静かにこう思いました。
「人生には、飲食店がいる」
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2022年1月号より転載