思い出す旅、奄美大島の旅_ローカリズム~編集長コラム【連載】

更新日:2021/10/20

鹿児島県・奄美大島
暮らすように旅をする その言葉を聞くたびに 思い出す旅がある

あれほどまでになにもしない旅は
後にも先にもないような気がする

 あれはもう何年前になるのだろう。たぶん5年前くらいだと思うのですが、12月の年末にまとまった休みが取れて、僕は奄美大島に5日間滞在しました。今でもよくおぼえているのですが、その年の仕事はとりわけタフで、週末にまとめて寝るくらいでは取れない1年の疲れは、身体に樹液がまとわりついたように、深くて濃いものでした。

 奄美には葉山のSUNSHINE+CLOUD が経営する素晴らしいゲストハウスがあり、僕は奄美を訪れるときは必ずその宿に泊まります。宿は空港からも繁華街の名瀬の町からも中間にあるので、車がないと身動きが取れません。僕はそのとき本当になにも考えていなかったので、空港からバスでその宿にチェックインし、5日間ずっと、ほぼ宿の周辺で日々を過ごしました。

 ちょうどクリスマス前の閑散期で、滞在中の宿には僕しかいませんでした。宿の目の前の海岸にはたくさんのビーチグラスが流れ着いていて、僕は1日の大半を海の前で過ごしました。朝起きたら散歩をし、夕方には夕陽を眺める。そんな毎日が過ぎていきました。

 お腹が空いたら近くにある古いホテルのレストランを訪ね、キンキンに冷えた瓶ビールを飲みながら、ぼんやり黙々と鶏飯を食べました。満腹になると、毎日たいがい眠くなりました。南国らしく、12月でしたが晴れていると暖かくて、窓から海風が入ってくる部屋のベッドの上で、本を読みながら気づいたら眠っていることも多くありました。「暮らすように旅をする」という言葉がありますが、その旅は「眠るために旅をする」という感じでした。

 奄美にはケンムンという妖怪の言い伝えがあって、その妖怪はガジュマルの木に棲んでいると言われています。昼寝のあとで窓を開けるとたいてい夕方で、海の前にあるガジュマルの木の下に、ケンムンがいるように感じることがありました。たぶん僕は眠りすぎて、旅の間中ずっと、現実と幻のあいだくらいにいたのだと思います。そしてケンムンもこんなにもなにもしない僕のことが訝しかったのだと思います。
 
 日本のあちこちを、旅をしながら過ごしています。いろいろな場所に行きました。それでもあの奄美で過ごした5日間は、そのどの旅とも別の部屋にしまわれた不思議な記憶となって、僕の心に残っています。そして深く疲れたときは、あのひたすらに眠っていた海辺の部屋のことを、今でもときどき思い出します。言うまでもなく、自分がいる場所以外にそういう場所を持っているということは、とんでもなく「豊か」なことだと、僕は感じています。

SUNSHINE+CLOUD

TEL046-876-0746
神奈川県三浦郡葉山町一色2151-1

Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2021年11月号より転載 

※記事は2021年10月20日(水)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります