日本人の美意識が宿る器の修繕技術「金継ぎ」。それは、壊れたものを“接ぐ”のではなく、新しい命を吹き込んで未来に“継ぐ”こと。これは、人の心を癒すようにものを継ぐ、「モノ継ぎ」主宰・持永かおりさんの優しい物語。
壊れたものの傷跡に刻まれる想いのすべて
あの時。
多くの家が流されて、ものもいっぱい壊れて、人もみんな傷ついたあの時。自分がこの手でできることって何だろう。「モノ継ぎ」の持永かおりさんは、ずっと考えていました。
2011年、東日本震災が起きた直後のことでした。北海道で暮らす美術家の友人から「アートレスキュー」なる復興支援のプロジェクトに誘われます。当時、陶芸の仕事をしていた持永さんは、想いに共感はしたものの、出せる作品がありません。しかも、東京は計画停電が行われているさなか、電気を使って新たな作品を作ることも憚られ「こんな非常時に、そんな気持ちになれない」と、一度は断わりました。
ただその後、ハッと思い直します。「そういえば私、直せる」と。
さらに3年ほど前。ラジオで金継ぎの存在を知った持永さんは「これかもしれない」と、すぐさま教本とキットを購入。自分や、友人の器を直していたのです。それを美術家の友人に告げると「そんな人は他にいないから、ぜひ参加して欲しい」と、話はトントン拍子に。必要に迫られ、急遽「モノ継ぎ」という屋号をつけたのもこの時でした。
と聞けば、何やら思いつきのようにも感じるかもしれません。しかし彼女の「直す愛」をたどれば、幼少の頃まで遡ります。おじいちゃんが50年代に建てた古い家、そこに一緒に暮らしていた彼女は、ものから建具まで、何かが壊れたとなれば、いつも真っ先に呼ばれました。そう、家族の中での「直す係」だったのです。
その家のことを、彼女は今でもはっきり思い出せると言います。鈍く飴色に光るブナの床、レンガ造りのマントルピース、その上には、家族みんなのいろんな思い出のものが、ごちゃごちゃと飾られていました。
そんな、古いけれど愛着のある原風景、それらを直すという原体験は、大人になっても失われることはなく「金継ぎ」と出会い、花開いたのです。
当初は仕事にしようなんて、思っていませんでした。ただ、震災での一件がきっかけとなり、自らを深く見つめ直した時。タイミングと想いが、ぴたりと重なったといいます。
確かに学校の先生や、病院で働くお医者さんや看護師さんのように、非常時に世の中に必要とされる存在ではないかもしれない。でも、壊れたものを直すことで、傷ついた人の心を直す、手助けができるんじゃないかと。やがてそれは金継ぎの原点であり、本質だと思い至るのです。
大事なものは、みんなあります。それが壊れると、きっと傷つく。もしも壊したものが自分のものではなく、大切な誰かが大事にしているものだったら。「やってしまった・・・」と、本人よりも、むしろショックを受けるかもしれません。
だからこそ「直す」という行為は、壊された持ち主の心だけでなく、壊した人に対して「直ったから、大丈夫」という、労わりの思いにもつながる。そうしたすべてが、壊れたものの傷跡に、刻まれると思ったのです。
こんなことがありました。
ある男性が、湯呑み茶碗の修繕を依頼してきました。やりとりの中でそれは、今は成人になった娘さんが、小学生の頃に割ったものであることを知ります。そうです、男性は当時、娘さんのショックを受けた顔がどうしても忘れられず、とてもじゃないけれど処分できず、十何年も捨てずにとってあったというのです。
持永さんは、その男性の、娘さんへの愛をひしと感じました。そして丁寧に、その思いごと継ぐように、修繕を施したのです。
現在、持永さんは「金継ぎ」という仕事に、意味と使命を感じています。今までいろんな事をやってきて、寄り道もしたけれど、全部がようやく繋がった。器を通じて、人と、世界と繋がっている。そう言うと大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当にそうだと確信を得るのでした。
割れた傷跡に「同じ」ものは、ひとつたりとてありません。すべて異なる物語を日々空想しながら、ものと思いを継いでいます。
■ものを継ぐ人/持永かおりさん
美術品や器の金継ぎ、修理を行う「モノ継ぎ」主宰。2014年よりD&DEPARTMENT リペアネットワークに参加。監修に『繕うワザを磨く 金継ぎ上達レッスン』など
■物語を紡ぐ人/山村光春さん
心とむ衣食住のかたち、生き方や暮らし方を伝える。企業の広告、雑誌や書籍、ウェブなどメディアの編集、執筆を手がけるBOOKLUCK主宰
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PHOTO/SAORI KOJIMA WRITING/MITSUHARU YAMAMURA(BOOKLUCK)
※メトロミニッツ2021年10月号特集「愛しのうつわ」より転載