新潟県・越後妻有
答えがないことや わからないものがあるから 世界はおもしろい
僕のローカル探訪の原点
新潟・十日町「大地の芸術祭」
僕が地域に興味をもったきっかけは、「大地の芸術祭」を訪ねた新潟の十日町でした。
今では日本各地で開催されるようになった芸術祭の起点がこの場所で、現代アートの敷居を下げたという意味あいにおいて、この芸術祭の日本アート界への功績は計り知れません。
越後妻有は日本有数の豪雪地帯として知られています。つやつやのお米、美味しいそば、豊かな食文化を持つこの町にアートがやってきたのは2000年のことでした。のどかな中山間地
域に、草間彌生やカバコフといった世界的な現代美術家たちが、その土地の風土や歴史を活かして作品を創ったのです。そこには地域の反発や嫌悪もあったそう。誰もそんなもの見たことがないし、誰にとっても、おそらくそれらは「異物」でしかありませんでした。
この場所を初めて訪れたのは2006年で、僕自身がそのとき感じたのは、「まるで冥土のようだ」ということでした。生と死の間。夢のように美しい棚田や山道に、ボルタンスキー+ジャン・カルマンの「最後の教室」やマリーナ・アブラモヴィッチの「夢の家」といった死の匂いのする作品が突如現れ、それらがなにを言おうとし、伝えようとしているのか、僕にはさっぱりわかりませんでした。
もちろん僕はその意味を必死で見つけようと混乱していました。でもわかったのです。ここには「答え」も「意味」もたいしてない。あるのは作家の「意思」だけだって。言い換えれば、それは心。そんなものが完璧に捕まえられるはずがない。僕らにできるのは「想像する」ことだけなんだと。でも、その想像することこそが、なんでもすぐに答えがわかる現代において、とんでもなく「豊かな経験」なのだと気付くまでに、そんなに時間はかかりませんでした。そしてそれは僕がモノを創るときのまなざしの根底に、今も強い影響を与えています。「答え」も「意味」も、重要じゃない。大切なのは「想像」。
大好きなアートのひとつに、日本の現代美術家、内海昭子さんの創った「たくさんの失われた窓のために」という作品があります。カーテンが風に揺れる大きな窓の向こうには、日本の原風景のような美しい景色が広がっています。「たくさんの失われた窓」とはなんなのか? この場所に立つと、それがわからないことがこんなにも心地よいものかと思います。そこでは1日中、そこに吹く風がカーテンをただただ揺らしている。どこでいくつ窓が失われようとも、それは掛け値なく美しい風景なのです。
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2021年7月号より転載