日本のどこか
暮らしを旅する その入口のドアは 町の本屋さんの中にある
ローカルの書店で本を買う、そして旅先の日常にまぎれこむ
「暮らすように旅をする」
もうずいぶん消費された感のある言葉です。でも実際そう思っても、どうしても僕らは有限な旅の時間を効率的に使おうとするあまり、あれこれ調べてあちこち行ったり来たりしています。「日常」と「旅」の時間を同等なテンションで扱うことは、思ったより難しいのかもしれません。
たぶん現代を生きる僕たちの毎日は、少し「忙しすぎる」のです。だから旅という「非日常」に多くを託し、ある意味で過度の期待をしている。日常では見られないものを見て、食べられないものを食べる。もちろんそれが「旅」というものの本来的な定義であることに異論はありませんが。
ただ一方で「暮らすように旅をする」って、抽象的であるがゆえに、具体的にどうしたらいいのかわからないというのも、僕らがなかなかそれをできない理由かもなって思います。
僕は仕事柄、日常的にあちこちの町を歩いています。その日々の中で「暮らすように旅をする」ということの楽しさを、経験的に知りました。言うなればそれは、日常から非日常ではなく、日常から日常への旅。それがわかると、日本中が自分の暮らしている場所になります。もちろんそこには旅人である以上、どうしても入り込めない結界のようなものがあるのも事実です。でもそこにそっと「まぎれこむ」ことができれば、旅はぐっと深みを増してきます。
僕は地方の町へ行くと、必ず書店を探すようにしています。たいていどこの町にも本屋さんはあって、そこに置いてある本は、数の多少はあれ、だいたい同じようなものです。
でもなぜでしょう? 町の本屋さんで時間をつぶし、本を1冊買って外に出ると、さっきまでよそよそしかった町の風景が少しだけ親密さを増しているのです。そしてそれは、僕たちがそのドアを通り抜けた合図です。
できればそのまま、地元の居酒屋に向かいましょう。なるべく観光客がいなくて、古くからあるような店。コツはネットに頼らないことです。カウンターに座ってビールを1杯。喧騒になじめなかったら、さっき買った本を開けばオーケー。この先は、本が旅のパスポートです。あなたはもう暮らしを旅しています。
もうお気付きですね。なにも遠くまで行くことだけが旅ではありません。降りたことのない隣の駅の駅前にも、日常は広がっています。日常を旅する
ことができるようになれば、あなたの毎日は旅になる。そう思うと、僕たちが住んでいるこの世界は、なんと楽しくて多様性に満ちた場所なのでしょう
か。そんなふうに思うのです。
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2021年7月号より転載