岡山県 倉敷市
カタチあるものに カタチのないものを託し 僕らはタフな日々をゆく
日常を旅にしてくれる、僕の大きなトートバッグ
「どこか遠くに行ってきたの?」
よく人にそう聞かれるくらい大きなトートバッグを、僕はいつも持ち歩いています。それは岡山県の倉敷で作られている「倉敷帆布」のもの。
倉敷は江戸時代に綿花や米の集散地として栄え、「天領」としてにぎわいを見せました。そして帆布はこの町の産業として、今も知られています。
僕はそのトートを毎日使っています。3泊くらいなら出張も一緒。丈夫でなんでも入る収納力や、肩から掛けられる持ち手の大きさが完璧で、使い続けることで帆布特有の経年変化を見せてくれます。そしてその変化やしわの中には、あちこちを一緒に旅した思い出も刻み込まれているような気がするのです。
旅をするときに目的を「小さなもの」にすることが、結果的にその旅を思い出深いものにしてくれることがあります。あの喫茶店のプリンを食べに行く、あの人に会いに行く・・・。新幹線や飛行機に乗って、そういう些細な楽しみをひとつ抱えて移動することは、僕にとってほんとうに豊かな時間です。
倉敷を訪れた目的は、大原美術館が持っているエル・グレコの「受胎告知」という絵を観ることでした。そしてもうひとつが、このバッグを買うこと。「受胎告知」は、聖母マリアが神の子を受胎したことを天使から告げられるシーンが描かれたもので、圧倒的な迫力でした。その興奮を抱えたままバスに乗ってカバンを買いに行き、帰りにもう一回美術館に入って図録を手にしたことを今でも覚えています。買ったばかりのトートバッグにその重い図録と旅の荷物を入れ替えて、美しい倉敷の町をひとり歩きました。そこからこのカバンと僕の旅は始まり、今もその
旅は続いています。
どうして大きなカバンが必要かというと、僕はそこに大事な物を入れて、どこまでも一緒に行きたいからです。モレスキンのスケジュール帳とノート。宝物のペンケース。ヘッドホン、旅先
で買ったポストカードや小物たち・・・。
僕らは目に見えない心を抱えて日々を過ごしていて、気が付くとその心は不安定に揺らいでいます。だからこそカタチあるものをお守りみたいに日々に携えることで、それらが僕らを護ってくれることがある。旅をするということはお守りを集めるみたいなことで、そのお守りはどちらかと言うと観光地よりも、何気ない町の中で静かに僕たちを待っていてくれることが多いような気がします。そして日本中にそういうものがあるということを「知っている」ことが、僕らの毎日を少しだけ豊かにしてくれる。カバンの中を覗くたびに、僕はそう思うのです。
Illustration/YOSHIE KAKIMOTO
※メトロミニッツ2021年6月号より転載