F太郎通信2017
F太郎通信2017

OZmagazine編集長の「F太郎通信2017」12通目

更新日:2017/11/12

オズマガジン編集長古川が、日々の中で感じたことを、読者のみなさんに手紙を書くようにつづったエッセイのようなものです。

すっかり寒くなってきました。といいながら部屋の中ではTシャツです

F太郎通信2017

 こんにちは。また2週間が過ぎていきました。こうしてみなさんに2週間に1回手紙を書くようになって、半年が過ぎようとしています。今日は祝日の金曜日で、外はよく晴れています。2週間続いて週末は台風が日本を通り過ぎました。久しぶりの気持ちのいい晴れた週末です。みなさんはどんな風に過ごしているのでしょうか。

 僕はといえば、今日は朝ゆっくり眠ってお昼ごはんを食べて、少しだけゆったりした気持ちでパソコンに向かっています。この手紙のような長いメールのような文章を書き終えたら、大好きな喫茶店に行って熱いコーヒーでも飲みながらのんびりしようと思います。たいていこの文章を書くのはそういう休日の午後で、いつもの場所で、好きなレコードをかけて、使い慣れたグラスに水を注いで、座りなれたイスに座り、「さて、今日はなにを話そう」って考えます。

 あまり意識したことはありませんが、それは自分にとって「型」のようなものかもしれません。その「いつもの」という状況をつくることで、自分を落ち着けている。そういうふうに思います。

 今日はその「型」について、書いてみようと思います。

 型という言葉を辞書で調べてみると「個々のかたちのもとになる(と考えられる)もの」とあります。

 本づくりにも「型」というものがあって、僕らはオズマガジンをある一定の型をベースに作っています。そしてその型をつくるのに、ずいぶん時間をかけてきたなぁと、いま考えると、そう思います。違う言葉を使えば、もしかしたらそれはブランドともいえるかもしれません。そして型というものはとても大切なもので、自分たちの調子が悪くなったり、具合が悪くなったときに、その「型」に戻ることで、その不調を解消していくことができる。逆にこの「型」ができていないと、帰るべき場所が曖昧になってしまい、安定したモノづくりをすることはとても難しくなります。そのときそのときの気分でモノを作ったり、時代の流行で作り方を変えたりしていたら、到底安定した型は作れません。

 そもそも型というのは、簡単に身に付くものではありません。たとえばプロの野球選手は自分のフォームを身につけるために、想像を絶するほどのバットの素振りの反復練習をしています。
 おもしろいのは、そこにひとりとして同じフォームでバットを振るプロ野球選手がいないことです。同じコーチに習っても、いくら尊敬する人のフォームを真似ても、同じスイングというのは生まれません。一方で基本というものは普遍的なもので、誰もが同じ(ような)教科書からスタートしています。

 イメージしやすいようにもうひとつ例えを。プロのフォトグラファーの写真で考えてみますね。カメラの使い方、ルール、常識、そういったものはある程度同じスタートでありながら(時には同じカメラを使用していながら)、現像された写真はまったく別なものが写っています。
 同じ町を撮っても、ホンマタカシさんの撮る町と本城直季さんの撮る町の写真はぜんぜん違うし、川島小鳥さんの撮る女の子とアラーキーさんの撮る女性の写真はまったく別の生き物を写しているようにさえ思います。これが型です。

 そう考えると「基本や最低限の下地を、自分の頭で考えて、ときに自分でアレンジし、あくまで自分のやり方でやっていく」ことで、わたしたちは「自分」の型を見つけていくことができるのかもしれません。
 そして「型」というものは、スポーツや表現の世界でだけ使われる言葉ではありません。わたしたちの日常の中でも、自分の型というものは作られていっています。わたしたちはいわば自分の「型」を味方にして、ときに武器にして、毎日を生きています。

 ここで大切なのは「自分の頭で考えて」ということだと思います。

 わたしたちの毎日は本当に便利すぎて、自分の頭で何かを考えなくても、あちこちに答え(らしきもの)が情報として溢れています。それを信じて動き続ければ、ある程度の「型」のようなものを作っていくこともできるでしょう。今の時代は、考えない方が楽に進むことがありすぎるのです。
 そのような状況の中で、考え、違和感に対して素直になることは、もはやパワーとエネルギーを必要とするものになってしまいました。そして実は大きな力は、世間を巻き込むことで「利益」を得ています。わたしたちに考えさせないことが、実は誰かにとっては都合のいいことになっている。自分の住んでいる世界です。僕はそのことについてはいつも意識して考えるようにしています。考えて、考えて、迷って、その先に自分が選んだものを信じていく。そうすればきっとほんとうの「型」のようなものに辿り着くと思っています。

 そして同時に、もうひとつ大切なのが「ときに自分でアレンジし」ということです。

 「型」ができてくると、今度はどうしてもその型にはまりがちになります。矛盾するようですが、型があるがゆえに、不自由になってしまうこともある。「型」は「頑」と紙一重のところにあります。他人の型を認め、自分の型の不十分さとか未熟さを常に意識して謙虚でいること。ときにその型を捨て、違うやり方を試してみること。その「柔軟さ」も、併せて持っていなくてはなりません。
 前述したように型というものはすぐに身に付くものではありません。同時にすぐに失われるものでもないのです。型を意識し続けながら、その型にとらわれることなく生きる。なんだか禅問答みたいですね。

 うまく言語化することができませんが、オズマガジンにも「型」があると思います。長い時間かけて身につけてきた型。その型をベースに、アレンジしながら、みなさんが楽しみにしてくれるような雑誌を作っていけるように、これからも編集部みんなで力を合わせて、柔軟におもしろい本をお届けしていけたらなと思います。書店で見かけたときはぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。

 ではまた、2週間後にお会いしましょう。今週も長い文章におつきあいいただきありがとうございました。寒くなってきました。風邪などひかないように、元気で機嫌よく過ごせますように。普通に生きていくだけでもタフな毎日です。やすみやすみ、できることをひとつずつやっていきましょう。

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※記事は2017年11月12日(日)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります