OZmagazine編集長の「F太郎通信2017」11通目

F太郎通信2017

オズマガジン編集長古川が、日々の中で感じたことを、読者のみなさんに手紙を書くようにつづったエッセイのようなものです。

更新日:2017/10/29

F太郎通信2017

旅先から手紙を書きたい相手は、大切な人ですね

 こんにちは。お元気ですか? すっかり寒くなってきましたね。風邪などひいていませんでしょうか。

 僕はいま青森県の山奥の温泉宿でこの手紙のような文章を書いています。東京はずいぶん雨が続いていましたが、ここはくっきりと晴れていて、山の木々の紅葉が見頃を迎えています。部屋の窓の外の楓の木に小さなリスが遊びにきていて僕に気づいているのですが、僕が危険な存在ではないことがわかったのか、興味深そうに部屋の中をじーっと見ています。僕も特にやることがないので、にらめっこをするようにそのリスのことを見ています。このまま対峙していたら、リスはアリスを穴に導いていったウサギみたいに急に話しだすかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら。夕ごはんまで少し時間があるので、この手紙を書いたら温泉に入ってビールを飲んで、少しだけ眠ろうと思います。

 小沢健二さんは「僕らの住むこの世界では旅に出る理由があり、誰もみな手を振ってはしばし別れる」と歌っています。僕らが旅に出る理由って、いったいなんなんでしょうか? 僕は、旅というのは日常という名のメリーゴーランドをつかのま降りて、その回転木馬を外から眺めるようなものだと思っています。

 人によってもちろんその差こそあれ、わたしたちの日常というのはある程度の「繰り返し」を前提にしています。朝が来たら目覚め、仕事に行き、満員電車に乗って帰り、疲れて眠る。そうやってわたしたちは自分の毎日をルーティンにすることで、自分の時間を管理しています。そしてわたしたちはその繰り返しの中に自分の夢や目標、希望への種を蒔き、それに水をやり、育てていくことを希求しています。わたしたちはすぐに「日常」と「非日常」というくくりで、その繰り返しをおもしろみのないものとして分類してしまいがちですが、実はその繰り返しの中でこそ、わたしたちのスタイルというものは育まれていくものです。

 しかしわたしたちはその廻り続けるメリーゴーランドの中で、ついその大切さを疎かにしてしまいます。隣のメリーゴーランドを見て羨ましく思ったり、自分の木馬の回転数が遅いと不平をこぼしてみたり、都合よくそれを神様のせいにしてみたり。それがくり返し訪れることをいいことに、その大切さをついつい忘れてしまうのです。

 でも確かにその廻り続ける木馬に乗ったまま、それを眺めることがとても難しいことも、わたしたちは経験的に知っています。結局わたしたちは、自分のことほどよくわかっていない。だからわたしたちは「旅に出たい」と思うのだと思います。「温泉でも行きたいね」と思うのだと思います。

 旅に出るということは、その回転を続ける木馬から降りて、つかの間それを遠くから眺めることです。でもそれを外から眺めてみると、木馬に乗っていたときは気がつかなかったことに気がつくことができます。たとえば自分が苦しんでいたことが実は些細なことだったり、なんでもないと思っていたことが、実はとてつもなく美しく見えてきたりするのです。

 大好きなサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のラストシーンで、主人公のホールデンが、古い遊園地で妹のフィービーが乗る回転木馬を眺めるという場面があります。そこに急にバケツをひっくり返したような雨が降ってくるのですが、ホールデンはそんなこと気にもしないで、幸せな気持ちで妹の乗る回転木馬を眺めています。

 旅に出ると、僕はいつもこのシーンのことを思い出します。そして僕たちは、旅だけを続けることができないことをもう知っています。だから僕たちはいつも、自分ではなくて、大切な誰かの回転木馬を眺めている。そしてたいていの人生の喜びや悲しみは、その中にある。大人になればなるほど、そのことがわかってきたような気がします。

 まとまらない話を思うままに、今週もつらつらと書いてしまいました。だんだん眠くなってきたので、このまま少し眠ろうと思います。あなたはいまどこでなにをしているのでしょうか? 元気で過ごしているといいのですが。旅先から手紙を書きたい人は、自分の大切な人ですね。いつかどこかでお会いできるのを楽しみにしています。

雑誌OZmagazineは、日々の小さなよりみち推奨中。今日を少し楽しくする、よりみちのきっかけを配信していきます。

  • LINEで送る
※記事は2017年10月29日(日)時点の情報です。内容については、予告なく変更になる可能性があります

TOP